ともに、遠目では、かく悠々閑々たるそぞろ歩きを続けているように見えるが、事実上は、歩みながら絶えず、往手《ゆくて》と左右の草原から、沼、橋、森蔭をまで、隈なく見透さんとした身構えで歩んでいるのであります。
 そのかなり細心に働いている首筋の異動と、眼光のつけどころを見ていると、ただ月に乗じて浮かれ出したものでないことは明らかであります。何か目的あって、それを探し索《もと》めるために出動したものと見なければならないのです。
 それが微吟となったり、閑話となったりして洩《も》れて来るのは、その目的に達する間の道草に過ぎないと思われる。
「先刻から聞いていると、君はその恐山の林崎明神のお堂で居合を修行したということだが、してみると君の居合の流儀は、林崎流の居合なのだね」
「いや、そうじゃないです、林崎明神というのは、恐山の一部にある名所の名でして、林崎流の居合とはなんらの関係がないです、僕の修行したのは浅山一伝流なんですが、それも純粋の浅山一伝流というには少々恥かしいでしてね、コツは習いましたけれども、やり方は未熟な自己流ですから、本場へ出て練り直さなければならない、と考えとるです」
「なるほど」
と白雲は頷《うなず》きました。この青年、いよいよ存外に謙遜と自省とがある。この謙遜と自省とがある限り、まだ修行が伸びる。
 というようにも感心してみたが、いやいや滅多に感心してはならない、青年や、愚者を、うっかり過分に賞《ほ》めてみせると、かえって生涯を誤ることがある。
「今、林崎流の居合のそのままの型は、どこに残っているか知らん。林崎を祖として、それから出でた流派は多いが、林崎流そのままの伝統を抜くというのはあまり聞かないね」
「そうです、浅山一伝流も林崎甚助から出たのです。先生、あなたも居合をおやりになりますか」
と、今度は柳田平治がたずね方に廻ると、田山白雲が、
「到底、君のように器用なわけには行かんけれど、一通り稽古するにはしたよ、僕のはちょっと変っている、鶴見流といってね」
「鶴見流ですか……」
「あまり聞き慣れない流名だろう、だが、それを伝えた老教士の口と、腕とには、なかなか敬服すべきものがあったねえ――その流祖の鶴見というのは、年代はよく知らんが、たしか戦国時代の人であって、一つ面白い逸話を聞いている、こういう話だ、まあ聞いて置き給え」
 打解けた物語りをしながら、白雲の眼は絶えず前面の広野の四方にめぐらされている。どうしても月を見ながら散歩のための閑談ではない。

         二十二

「越前家に、なにがしという武功の者があったのだが、これが何か犯せる罪あって出奔《しゅっぽん》し、三国山へ籠《こも》ったのを、右の鶴見が殿の仰せを受けて召捕りに向ったのだが、その仰せを受けた時に、鶴見が返答して言うことには、それがしはまだ人を召捕りに向った経験がござらぬ、もし召捕りそこねた時には拙者一人の恥ではござらぬ――というようなことを申し出ると、ただ何でもよろしいから行け、もし召捕ることができなかったら斬捨ても苦しうない、とこういう上意なので、しからばもはや辞退いたすべき限りではござりませぬ、と言って鶴見殿が出立したのだね」
 白雲はこのようにして、月の広野原を歩みながら語り出すと、柳田が、
「その時に、鶴見先生のはらはもう決っていましたね」
「そうして、先方へ行くと、どういう知恵を働かせたか、とにかく、その相手の武功者をだね、それを縄にもかけなければ、刀を差させたままで連れ出して来たんだね。そうして、召連れた二十人ばかりの者と一緒に、舟に乗せて城下へ漕ぎつけることになったのだ。その召連れて来た武功者は、聞えたる大力の大男でね、鶴見は反対に君のような――と言っては失敬だが、とにかく小兵《こひょう》な男であったそうだ。それが右の武功者を縛りもしないし、刀を差させたままで、同じ舟の中へ連れ込んで打解けているものだから、警固の足軽連が心配したのも無理はないね。その時鶴見は艫先《ともさき》の方に腰をかけていたそうだが、右のお咎《とが》め者も鶴見の傍に船ばたにもたれている、鶴見が茶をすすめるとそれを飲み、何かと無難に物語りをしているうちに、船が城下近くなろうとした時、右の武功者が、乗組の油断を見すましたか、つうと水の中へ飛び込んでしまった。さてこそと警固のものが眼の色を変えて狼狽《ろうばい》したのだ」
「なるほど……」
「だから、言わぬことじゃない、あれほどの武功者を縄もかけず、大小も取上げずに召連れて、それに悠々と茶などを振舞って世間体にもてなしていたのが緩怠千万――なんにしても大事のめしうど、取逃がしては一大事と、皆々続いて水中に飛び入ろうとすると、鶴見は少しも狼狽《あわ》てず、以前の通りに艫先に腰かけていて、右の手で髭《ひげ》をひねり
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