上げた新鮮なる湖魚を主菜にして、二人の会食がはじまりました。
 米友も辞退しないで、よばれていると、ゆっくりと食事をしながら、青嵐は米友に向って、
「君、君のいるあの胆吹の開墾地だがなあ、あそこの王様は女だという話じゃないか、女にしてはなかなか野心家だねえ」
「ああ、女だよ、お銀様といって、甲州第一番の金持の娘が大将で、もくろんでいる仕事なんだ」
「そうか、珍しい人だ、拙者も一度、その女主人様に会っておきたいものだと思っている」
「駄目だよ」
「どうして」
「なかなか気むずかし屋でなあ、みんなが腫物《はれもの》にさわるようにしている……だが、おいらなんざあ、怖くもなんともねえや、おいらが見たんじゃあ、只の女の人だよ」
 米友は、御飯を食いながら、こう答えて、昂然として何か多少の得意気な色を浮ばせました。
 つまり、胆吹王国の女王なるものは、無類の専制女王である。多くの人がビクビクと恐れているが、こちとらだけは怖くもなんとも思っちゃいねえ。女王様もまた、おいらに対しては相当隔てなく附合ってくれる。何が故に人があの女王を気に病むのかわからないでいるその自慢が、少しばかり現われたのです。青嵐も頷《うなず》いて、
「そうだろう、気むずかしいといって、わからずやでは、あれだけのもくろみは出来ない、会って話をすれば、ドコかエライところがわかるに相違ない」
「では、一ぺん会ってみな、おいらがそう言えば、あのお嬢様は会う」
「こっちへは来ないかね――そのお嬢様を、長浜見物に引っぱり出して来るわけにはいかないかね」
「それだ――もうこっちへ来ている、そいつをおいらはあとをつけて来たんだ――お銀様ぁ、いま長浜に来ているが、そのいどころがわからねえ」
 その時、玄関でまたおとなう声がしましたのを、今度は、はっきりと聞きとって、青嵐《せいらん》が、
「誰か来ているな」

         百八十九

 誰か庵寺の玄関に来ていることを気取《けど》ったけれど、青嵐は承知しながら聞流しにしている。米友がかえって落着かない気持で、
「じゃあ、おいらは、これで帰るよ、どうも御馳走さま」
と言って、立ちかけました。その時分に、もう食事は済んでいたのです。
 そうすると、青嵐が、それを押しとどめるようにして、
「まあ、いいじゃないか、ゆっくりして行き給えよ」
「ゆっくりしていると、日が暮れらあ」
「日が暮れたら、泊って行き給え」
「そうしちゃいられねえんだよ、おいらはこれから人を探さなくちゃあならねえ」
「誰を?」
「そのお銀様という人と、それから……もう一人の人間を、今晩は夜通しかかっても探して帰らなくちゃあならねえ」
「それは、よした方がいいぞ、君」
「どうして」
「どうしてたって、夜は危険だよ、夜歩きをするのはあぶない」
「あぶねえことがあるもんか」
と米友が呟《つぶや》いて、よけいなお節介を言う人だという眼を以て見る。それをおだやかに、
「いや、このごろは、この静かな湖畔の町にも、相当に殺気が立っているから、夜歩きはやめた方がいい。君も知ってるだろう、このごろ、江戸の老中といって、権勢のすばらしいお役所から、役人が出張って、土地の検査をして歩いているのだ」
「うむ」
「その検査ぶりが不公平だというんで、人民が動揺している」
「うむ」
「それから君、姉川の方面では、水争いがはじまっているのだ、百姓たちが、おのおの自分の田へ水が引きたいといって、血の雨を降らさんばかりに騒いでいる」
「それは知ってる」
「それからまた、この土地に絹の会所があって、そこの頭株に大金持がいて、そいつが横暴だといって、恨んで火をつけようとする奴が潜入している」
「え、火放《ひつ》けが来ているのか」
「そうだ、だから、今晩あたり、焼討ちがないとはいわれない」
「焼討ちがかい」
「うむ、火事があるかも知れない。そんなようなわけで、他国の者にはわかるまいが、この長浜の町は、外見の穏かなわりに、内部に殺気が籠《こも》っているというわけだから、うっかり夜なんぞ出歩くのはあぶないというのだ。よって、君は今晩素直にここへ泊るか、そうでなければ、長浜の町へ出ないで、ほかの道を通って胆吹へ帰るなら帰り給え」
 青嵐の言ってくれることは穏かで、そうして親切です。だが、どうも米友の頭には、それほどに響かないものがある。
「せっかくだが、そう聞いてみると、いよいよこうしちゃいられねえ、おいらは出かけるよ」
と言って、つと立ち上って、杖槍に手をかけた気勢、とどむべくもなしと見たものですから、
「じゃあ、大事にして行き給え、近いうち拙者は君たちの胆吹王国をたずねてみるよ」
「ああ、いつでも来なよ」
と言い捨てて、米友は早くもこの庫裡《くり》を飛び出してしまいました。

         百九十

 米友のあわた
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