んに至っては、以前いうが如く、天下の形勢に暗いから、新撰組であろうと、古強者《ふるつわもの》であろうと、そう無暗に捕って食おうとはいうまい、土方が来ようと、沖田が来ようと、こっちの知ったことじゃないという腹があるから、左様にわるびれた色はなく、とにかく今日は新撰組へ挨拶に来たわけではなく、山王様へお参りに来たのだから、早くそちらの方へ罷《まか》り出るのが至当の礼儀だと思って、お茶代も相当にはずんで、
「さあ、行きましょう、山王様へお詣《まい》りをして、さっぱりと清めていただきましょう、今日は厄日《やくび》のようだから」
 こう言って一行を促し立てた時分に、新撰組の一行十余人が、粛々《しゅくしゅく》としてこの茶店に入って来ました。
 最初見た時は、大将の一人が十余人を従えて、馬で乗りつけて来たようでしたが、今は馬をば多分その辺に乗捨てて置いて、大将も同勢と共に徒歩《かち》になって、粛々とここまで練って来ました。
「ウヘヘ、土方隊長様」
「これは、沖田先生」
「永倉先生――」
 お角以外の居合わせたものは、みな土下座をきってしまいました。
 お角は、特別に、この人たちに土下座をきらなければならぬ理由を発見しません。そうかといって、人が畏《おそ》れ敬うものは、相当に会釈をしなければならないと思いましたから、土下座こそきらないが、相当に畏れ敬う素振りを示して、少々出立を控えておりました。
「どうだ、年番――来ないか、あの囮《おとり》をたずねて来る奴はないか、あれを取戻そうと騒ぐ気色は見えないか」
とたずねたのは、永倉新八でした。年番は恐れ入って、
「はい、どなた様も……まだ、一向」
「そうか、今日で三日になる、もう取片づけてよろしい」
「はい、畏《かしこ》まりました」
「このお方が、土方先生だ」
と言って、隊長を指して役々に永倉新八が紹介すると、
「ウヘヘヘヘ」
と言って、一同が拝伏してしまいました。
 新撰組の隊長、鬼といわれる近藤勇が片腕、というより、骨肉というべき土方歳三が出向いて来たのだ。一同が恐れ入ったうちに、お角さんが、土方とはどんな男だか見てやりたい!
 おや、思いの外いい男だねえ、色が白くて、優形《やさがた》で、なかなか好い男だ、新撰組というから、鬼からお釣を取るような男ばっかりだと思っていたのに、ホンに人は見かけによらないものだねえ。とお角は、それとなく横目でジロリと見たが、その次に、アッと驚いて、また見直して、また驚き直しました。
「まあまあ、お前さんは、歳《とし》どんじゃないの、歳どん――間違ったら御免なさい」
 今まで物に動じなかったお角が、その時になって、はじめて取乱して、こういう頓狂声を立てたものですから、上下内外、みな驚かされました。

         百七十九

 見慣れぬ女の声で、新撰組の隊士もみな気色ばむうちに、土方は篤《とく》とお角さんを見つめて、
「は、は、は、こりゃあ珍しい、両国の親方じゃないか」
 副将がこう言ったものですから、一同がまた呆気《あっけ》にとられてしまっていると、
「ほんとに、お前さん、歳どんでしたねえ、みんながまた、新撰組、新撰組って、鬼の寄合いででもあるように騒ぐもんだから、どんなに荒武者が来るかとビクビクものでいたんですよ、ところがお前さんは、歳どんじゃないか、お前さんが、その新撰組? しかもそれが隊長様とは驚きましたよ、夢じゃないだろうねえ」
とお角さんが、あたりかまわず言ってのけて、なれなれしく土方歳三の傍へ近づいて来るものですから、誰も煙《けむ》に巻かれないわけにはゆかないのです。それさえあるに、土方が、またそれを極めて磊落《らいらく》に扱っていることが、とても他人とは思われない。
「新撰組だって鬼ばかりじゃない、この通り、おとなしい色男揃いだよ」
 土方歳三が笑って答えました。
 ここに色男と言ったのは、土方としては、いささか軽薄な言い廻しの感がないではないが、事実上、近藤勇は精悍《せいかん》そのものの如き面魂《つらだましい》の持主ではあるが、副将の土方歳三は、小柄で色が白く、それに当人もなかなかお洒落《しゃれ》なので、見たところ色男の資格は充分である。のみではない、色男の実証を、このお角さんに押えられている筋がある――それはそれとして、それに従う問題の小太刀の小天狗、沖田総司にしてからが、多病才子の面影充分なのですから、土方がお角さんに向って、新撰組は色男揃いだとのろけたのも、理由がないではありません。そこでお角さんが、
「ほんとに、どうして歳どん、お前のような色男が、新撰組になんぞなったのです、わからないもんですねえ」
と感歎してしまいました。
 ここで、お角さんは、土方歳三をつかまえ、歳どん、歳どんと、頭から浴せかけて憚《はばか》らない。
 ところによって
前へ 次へ
全138ページ中123ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング