をするだけの度胸はない、万一、何か手でも出しゃがッたら、只は置かないよ、こういう時に、あの友兄いの奴でもいりゃ、思いきり眼にもの見せてやるんだが、なあに、あの辺のお安いところならば、このお角さんの一睨《ひとにら》みでたくさんだ――
とお角さんは、充分にこいつらを見くびりながら、山王様の方へ進んで行きました。
お角さんの見くびった通り、こいつらは、いやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]以上のことを為し得る奴等ではないかも知れないが、そのいやがらせも、こっちの虫のいどころによっては、事が起らないとも限らない。
こうして、お角さんは、送り狼だか送りよた[#「よた」に傍点]者だかわからない奴等に送られて、山王を目指して行きましたが、一行のうちの誰もが、お角さんのそんな腹の中には気がつかず、相変らず遊山気取りでブラリブラリと進んで行きました。
ところが、まもなく、一行のすべてのこのいい気分が、ぶち壊されて、ふるいおののくような事件が出現したのは是非もないことです。それは、うしろから、例のよた者が、急にふるい立って殺到して来たわけではない。松並木になって、左右が畷《なわて》に続いている札場のところまで来て、
「ああ、怖《こわ》――」
と、殿《しんがり》として後ろにやや離れていたお角さんを別にして、一行の者が往手《ゆくて》をのぞんで立ちすくんでしまいました。
見れば、その松並木の松の根方や往来へ半ばかかったり、畷道へのめったり、甚《はなはだ》しいのは、往還の真中へ重なり合った、人間の死骸の山です。
みんな斬られている。どこを、どう斬られているかわからないが、無慮五六人の屍骸は、眼通りに斬り斃《たお》されて散乱している。しかも、斬られたこれらの人体《にんてい》を見ると、後ろからついて来ている送りよた[#「よた」に傍点]者の種類とは違って、いずれも、れっきとした武士姿である。それも、それぞれ充分に身固めをして、しかも、いずれも白刃を抜いて手にかざしたり、取落したりしたまま、右のように散乱と斬り倒されている。
斬られたには斬られたに相違ないが、やみやみと斬られたのではない。斬る方も、斬られる方も、充分覚悟の上で、おのおの死力を尽して戦った結果がこれなのだ。数えてみると、六人が物の見事に斬られてはいるが、斬ったのは何者。それはわからないが、斬られて斬られっ放しで、収容する者がなく、たとえ若干の時間の間でも、青天白日の下に曝《さら》し置くとは、無惨の至りではないか。
百七十三
お角さん一行の先陣は、体をおののかせ、目をつぶって、はせてその屍骸の前を通り抜けて、遥かの彼方《かなた》へ、やっと落着きました。
殿をつとめたお角さんだけが、足をとどめて、じっとその斬られぶりを熟視していたのです。
一方に小屋がけをして、番太のようなのが控えている。それに向って、お角さんがたずねました、
「どうしたのです、これはまあ、惨《むご》たらしいねえ、どうして早く取片づけてあげないの」
「へへえ」
と番太が、おぞましい声で返事をしました。それをも、お角さんは、煮えきらない返事だと思って、
「お見受け申したところ、立派なお武家たちじゃありませんか、何はどうあろうとも、早くこのなきがら[#「なきがら」に傍点]を取片づけて、人前に曝さないようにしてあげなけりゃ、恥ではありませんか」
とお角さんが、事のあまりに無情なると、緩慢なるとに憤りを発して、こう言いますと、番太は、この女の人からお叱言を食う筋はないというような面《かお》をして、
「へへえ――ところが、どうも、お相手がお相手でござんしてな、お奉行も、お代官も、お手がつけられやしまへんさかい」
「なんにしても、いけませんね、こうして、一匹一人のおさむらいを、曝《さら》しものにかけて置くのは無慈悲というものなんです、なんとかしてあげられないものかねえ」
「それがその、お相手がお相手でござんしてなあ」
「相手が相手だって、お前さん、お上《かみ》のお手をお借り申せば、どうにかして上げられそうなものじゃないか」
「それが、その――このお武家をお斬りなはったのは、壬生《みぶ》の新撰組の衆でござりましてなア」
「え?」
「壬生の新撰組の御浪人衆が、この通りお斬りになりはって、どうも、はや、手がつけられやしまへんさかい」
「みぶ[#「みぶ」に傍点]のしんせんぐみ[#「しんせんぐみ」に傍点]ですって?」
「はい」
「みぶ[#「みぶ」に傍点]のしんせんぐみ[#「しんせんぐみ」に傍点]とは、どういうお方か存じませんが、たとえお上役人だって、人を斬って斬りっぱなしという法はありませんねえ、お斬りなさるならお斬りなさるように、作法というものがあるんでございましょう」
「それが、どだい、壬生の御浪人衆にかかっては
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