、御城主でも、お奉行でも、どもなりませんさかい。当分、手をつけることならんと、新撰組の衆が、そのようにおっしゃりなはってな」
「わからないねえ」
お角さんは、わからない事だと思いました。しかし、ここで番太を相手に争ってみたところで仕方がない、とお角さんも目をつぶって、この傍を通りぬけ、誰か、そこいらで、もう少し話のわかった人間がいたならば、とっつかまえて、なお委細を聞いてみようと思って、あちらに待受けている一行の者に追いつきました。
お角さんのあとをつけて来た、いやがらせの安博奕打連《やすばくちうちれん》も、この場の死人の山には全く度胆を失って、一時、お角さんを追求することを打忘れて、慄《ふる》え上った様子です。
お角さんは、誰ぞ話のわかる人をつかまえて、事の始終を聞いてみようと心がけているうちに、山王様の前へついて、一行と共に一つの茶店に憩いました。
百七十四
折よくその茶屋は、土地の年番《ねんばん》の会所になっておりました。つまり右の事件に関連して、土地の顔役が昼夜詰めきりの有様でしたから、事の一切が、わかり過ぎるほどよくわかりました。
ただ、あれを斬って、斬捨てにして置くのは、新撰組の浪士に相違ないが、斬られて斬捨てられているのは何者だか、その点がまだはっきりしない。
一説によると、新撰組の一部が仲間割れがして御陵守《ごりょうもり》になる、それを近藤の部下が追いかけて来て、あの通り斬捨てたのだという。もう一つの説は、あれは大津の藩士たちである。これよりさき、十四代将軍が上洛の時、膳所《ぜぜ》と大津との間に待受けて、将軍を要撃しようとした浪士連がある。その時に、危うく発覚して事なきを得たが、その余類があれである。それを新撰組がたずね出して斬ったのである。
この両説のうちの、いずれかが真相であろう。或いはその両説が混線しているかも知れない。
だが、お角さんの眼に不審とし、不服とするところは、むしろそれではない。
「ですが、お見受け申したところ、いずれも立派な御身分のお武家様たちと拝見いたしますが、あのままで、いつまでもああしてお置きなさるのはどうしたものでござんしょう、御検視が済みましたならば、一時も早く取片づけて、惨《みじめ》たらしいお姿を見せないようになさるのが武士の情けとやらではございますまいか、お武家でなくてもそうでござんすね、普通の人情としても、人間の亡骸《なきがら》なんぞは、見せものにすべきはずのものじゃございませんね」
と言ったのを、店の亭主が、手を挙げて共鳴するような、制御するような恰好《かっこう》をして、
「そ、それでございます、いかにも、おっしゃる通り、あれはあのまま、ああして置き申してはならんのでござんすが……それがなんでございますよ、新撰組のお方が、もう一ぺんおいでになるまでは、誰にも手がつけられないのでございましてね」
お角さんは、その返答にも不満でありました。
「新撰組とやらのお方に、手がつけられなければ、土地のお代官様の方で、何とかならないものでございますか、この土地にも、御領主様や、お奉行様がいらっしゃるでしょう、そのお手でもって、何とかして上げて、あったらおさむらいの亡骸を、犬猫の屍体同様に、道路に曝《さら》して置きたくはないものでございますね、何とかして上げられないものでございますかねえ」
と、不満の上に、お角さんが浩歎《こうたん》すると、亭主も、村役も自分の事のように当惑した面《かお》をして、
「それが、その、御領主様のお手でも、お奉行様のお力でも、新撰組のお方がもう一ぺんお出ましになるまでは、どうにも手がつけられないんでございまして」
「それでは、御領主様よりも、お奉行様よりも、新撰組とおっしゃる方々の方が、御威勢が強いわけなんでございますね」
とお角さんが、なお中ッ腹で、押返してたずねてみますと、
「そ、それがその、御時勢でございますからな――」
いずれも、深くそのことに触れるのを怖れるものの如く、言葉を濁しますものですから、お角さんが、いよいよ納得がゆきませんでした。
百七十五
一匹一人の侍を、ああして幾人も大道の真中へ斬捨てて、白昼野天の見世物に供して置いて、それに、領主も奉行も手がつけられない。新撰組なるもののいかに傍若無人で、横暴残忍を極むるの存在であるかに、お角さんも、決していい心持がしませんでした。
しかし、泣く児と地頭には勝たれないというその地頭以上の勢力には、さすが気おいのお角親方といえども沈黙するよりほかはありません。
右の不服不満は、お角親方に限ったものではない、誰でも同様に不快とし、不満として、あれを見ないものはないのです。ですが、それを如何《いかん》ともすることのできない事情の存することを聞
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