つもりの大阪ッ子が、今度、道庵乗込みに対して、相当、備えるところがないという限りはない。十八文の江戸ッ子の道庵風情に、大阪を引掻き廻された日には、先祖の河太郎に対しても相済まない。
それともう一つ、なお油断のならないのは、女親方のお角なるものである。道庵の引掻き廻しも怖いが、お角親方なるものは、大阪をはじめ、全関西の興行界を席捲《せっけん》するのはらを抱いて乗込みかねぬ奴である。彼等が京大阪の根拠地に侵入する以前に、近江路、或いは宇治と勢多あたりに於て、眼に物を見せておかなければならぬ。
百七十一
お角さん一行が、こうしてピクニックを楽しんでいるところへ、血眼《ちまなこ》で乗りつけた一行に果して関ヶ原以来の因縁が宿っているか、いないか、それはわかりません。
ただ、せっかくのお角さんの清興の席の前へ、右の一団のならず者、よた者が集まって、盆蓙《ぼんござ》を敷いてしまったことだけは眼前の事実です。
そうして、南京《ナンキン》バクチと、丁半とをおっぱじめてしまいました。
「いかに何でも、これは無作法過ぎる」
と、お角さんはムッとしながら、そのならず者を見つめていると、
「いいってことよ」
を連発する江戸まがいの三下奴《さんしたやっこ》があるかと見れば、
「うだうだ言やはるな、ちゃア」
と上方なまりをむき出したよた者もある。とにかく雑種であって、本場物ではないが、東西聯合のトバと見れば見らるべきものです。
これらの連中が、今や、夢中だか、狎合《なれあ》いだか知れないが、血眼になって、丁半、ちょぼ一を争いはじめました。
それが、今いう通り、お角さんのピクニックの清興のつい鼻先なので、そうして、この盆蓙を敷くに当っても、お角さんに向って一応の渡りもつけていないのです。
癇《かん》の強いお角親方が、その仕打ちをムッとしないはずはないのですが、そうかといって、旅先で事を構えたがるようなお角さんではないから、その安っぽいならず者どもを横目に、見て見ないふりをしていました。
ところが彼等は、いよいよ増長し出してきました。そうして、何かポンポン啖呵《たんか》をきったり、巻舌をつかったりしてみるのだが、お角さんの眼で見ると、板についている奴は一人もない。「いいってことよ」とか「べらんめえ」とか連発するが、虫酸《むしず》が走るようで聞いていられない。ことに、「あんたはん、うだうだ言やはるな、ちゃア」に至っては、上方弁というものが本来、啖呵を切るには適していないので、お角さんが、うずうずして、どうにもこうにもならない。
いかにぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世のやくざ者にしてからが、こいつはあんまり下等過ぎる。事と次第によっては、ぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世ほどかえって仁義が厚いもので、みだりに、こうして、素人衆《しろうとしゅう》のいる鼻っ先で、トバを開くなんてことはしないものである。こいつら、三下のうちでも、よくよく下等の奴だと、お角さんが腹にこたえながら観念の眼を以て見ているうちに、その丁半、ちょぼ一が、全く八百長であることを見てとりました。
東西聯合のトバといえばすさまじいが、こいつら、真剣に勝負を争っているのではない、気合がウソだ、八百長だ、とお角さんが見てとると共に、八百長だとすれば、またおかしいじゃないか、いったい、何のために、ここまで来て、人の鼻っ先で八百長バクチをして見せなければならないのかと、考えているうちに、お角さんが、
「ハハン――」
と来ました。こいつら、誰かに頼まれて、いやがらせに来やがったんだよ。
誰を、このお角さんをさ。いったい、お角さんに何の恨みがあるか知れないが、胡麻《ごま》の蠅めら[#「めら」に傍点]のするこたあ、江戸ッ子にゃわからねえのさ。笑わせやがらあ、今日はその手に乗らないよ。
お角さんは、ついと立ち上って、一行の者に言いました、
「蠅虫が出て来てうるさいから、山王様へ行きましょうよ、山王様へ」
百七十二
お角さん一行が、急に毛氈《もうせん》を巻いてこの場を引払うと、南京バクチの一行が、つづいてまた盆蓙《ぼんござ》を引払って、一かたまりになって、ぶらりぶらりとお角さんの一行のあとをついて来る様子です。
こいつら、いよいよあれだ、お角さんは、せせら笑いながら、ゾロゾロと予定のプログラムである山王様の方へ向って、ブラブラと進行をはじめますと、そうすると、右の安バクチうちの一行は、またブラリブラリと、お角さん一行のあとをつけてやって来る。
ついて来やがるな、だが、お見受け申したところ、啖呵も切れないが、凄味《すごみ》も利《き》かない奴等だ、あいつらの器量では、せいぜい、いやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]をしてみるくらいのもので、腕出し
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