になってコキ卸して得意がる奴がある。たとえば薩摩というところは、よく一致して同郷人を担ぎ上げたがるところで、あすこへ生れると、さほどの人物でない奴でも、郷党が寄ってたかって人間以上に箔《はく》をつける、あの一致する気風は薩摩の長所だ。それと違って、同郷だというと、むやみに啀《いが》み合い、ケチをつけたがる風習の土地柄がある、たとえば、水戸の如きは、あれだけの家格と人物を持ちながら、到底一致することができない、奸党《かんとう》だ、正義派だ、結城《ゆうき》だ、藤田だと、始終血で血を洗っている、薩摩あたりに比べると絶大な損だ。わが土佐の如きも……」
と言っただけで、坂本はその説明をしませんでした。
「なんにしても、ああいう下品な奴に、指で丸をこしらえられてコキ卸されては、天下の豪傑もたまらん」
と五十嵐が冷笑しながら、よたとん[#「よたとん」に傍点]の落ち込んで行った草原を見つめておりました。
 ころころと転がって行ったよたとん[#「よたとん」に傍点]の姿は、もう見えなくなっている。ここは安全なカヤトのスロープとは言いながら、多少気がかりにならんでもない。どう間違っても怪我はないところであるが、少々薬が利き過ぎたかとも思っているようです。

         百六十七

 よたとん[#「よたとん」に傍点]先生が蹴落されて、勾配の急な草原を、ころころととめどもなく転がり落ちて、落ちついたところに、金茶金十郎が立小便をしておりました。
 よたとん[#「よたとん」に傍点]と金十郎とは、同行してこの叡山に登って来たのですが、金十郎がちょっと用足しをしている間に、よたとん[#「よたとん」に傍点]の方が一足先に、この頭上間近の岩角に居睡りをして、もしもし亀さんをきめこんでいたのです。
 あとから来た金十郎は、これから頂上なるよたとん[#「よたとん」に傍点]に追いつこうと思って、そこらあたりでちょうど立小便をしておりました。
 その金十郎が、なにげなく立小便をしている頭上へ、思いがけなくも懸河の勢いで落ちかかって来たものがあるのですから、金十郎も驚き且つ大いに怒らざるを得ません。
「誰だ、何奴だ、何奴なれば拙者頭上をめがけて、なんらの先触れもなく――奇怪千万《きっかいせんばん》、緩怠至極《かんたいしごく》!」
 こう言ってわめき立てた時は、無惨や、その頭上から、よたとん[#「よたとん」に傍点]の全身をひっかぶってしまったものですから、一たまりもなく同体に落ちて、それからは二つが、組んずほぐれつより合わされて、なお低く転がり落ちて行ったが、幸いにしてとある灌木の木株のところへくると、そこにひっかかって漸く食いとまることができました。
「あッ!」
「あッ!」
と双方とも、まず、そこで食い止められたことによって、生命《いのち》に別条のないことを認識しつつ、ほっと安心の息をつくと共に、
「これはこれは、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生ではござらぬか」
「いや、これは金十郎殿」
という面合せになりました。二人は痛い腰をさすりながら、まず以て生命に別条のなきことをよろこび、それから、金十郎が、
「これはまた、いかな儀でござる、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生!」
 たずねられて、よたとん[#「よたとん」に傍点]が、
「これこれ斯様《かよう》なる仕儀、無学|蒙昧《もうまい》の後輩を、故実の詮議によって教え遣《つか》わそうと致したところ、無法とや言わん、乱暴とや言わん……」
 それを聞くと、こらえかねた金茶金十郎が、
「いで、その無学蒙昧なる若輩共、この金十郎が取って押えて目に物見せて遣わさん、いざ、案内《あない》さっせい!」
 にわかに立ち上って、力足を踏み締めて、四明ヶ岳の上高く睨みつけました。
 その形相《ぎょうそう》を見ると、よたとん[#「よたとん」に傍点]が、これはいけないとさとりました。さすがに、そこは老巧で、通人のことであるから、ここで金十郎を怒らして、三人の壮士に喧嘩をしかけさせては事重大とさとりましたのと、それから、自分の腰骨がたいそう痛むので、それらを便りにいきり立つ金十郎の出足をなるべく後《おく》れしめようと企《たく》らんだものです。
 それがために、さすが勇気満々たる金十郎も、同行の先輩を振捨てて仕返しに行くというわけにもゆかず、空しく恨みを呑んで、よたとん[#「よたとん」に傍点]の介抱に当り、ついに、これを自分の背中に引っかけて、以前立小便をしていた地点あたりへ戻った時分には、もう四明ヶ岳の頂上に三人の壮士の影は見当りませんでした。
 それを知って、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生の腰の痛みもケロリと癒《なお》り、それから二人は引返して、根本中堂《こんぽんちゅうどう》の方から、扇《おうぎ》ヶ凹《くぼ》の方を下りにかかるのは、
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