して、船長室に駒井甚三郎を訪問しました。
 その時も、柳田平治は、例の三尺五寸の大刀を差込んで、駒井の部屋へ行ったのですが、刀があちこちに触りそうで、一方《ひとかた》ならぬ窮屈を感じながらも、少しもこれを手ばなすことをしないのです。
 駒井甚三郎の船長室へ案内されて見ると、なにもかも一種異様の感触を与えずには置きません。
 その室内には、見馴れぬ舶来の機械や、図絵が満ちている。室内の調度そのものも、大きなデスクを置き、椅子を並べ、絨毯《じゅうたん》を敷いて、この日の本の国の建築の間取座敷とは、てんで感じを異にする。その大きな卓子《デスク》の前に、海図をひろげて、椅子に腰かけている当の船長そのものの風采《ふうさい》が、また、恐山から出た柳田平治にとっては、予想だもせざる異風でした。
 面貌風采は、たしかに日本人に相違ない。髪も赤くはないし、眼も碧《あお》くはないのだが、その漆黒の髪は散髪で、ザンギリで、そうして着ているところのものは洋服で、穿《は》いているのはダンブクロ。柳田平治は、最初この船へ乗せられた時から、異様の情調に堪えられなかったのですが、この船長室へ入れられて、船長その人に当面に面会させられてみると、むっとしてむせ返るような気持に迫られました。
 お松の紹介の言葉も、ほとんど耳に入らないでいると、先方の言葉は存外穏かな、気品のある言葉で、
「そうですか、それは御苦労でしたな」
という船長そのものの言葉が耳に入った途端に、お松が、
「駒井の殿様――いえ、船長様でいらっしゃいます」
と紹介したのですが、柳田平治は極めてブッキラボウに、
「は、そうですか、拙者、柳田平治です」
と答えたきりです。
「君は南部の恐山方面から出て来られたそうだね」
 駒井甚三郎は、田山白雲からの手紙を置いて、柳田平治に問いかけると、
「は、左様であります」
と、ここでもシャチコばった返事だけです。
 単にこれだけの挨拶でしたが、そこに、何かそぐわない空気をお松は早くも認めたのですが、さて、急にどう取りつくろう術《すべ》もないでいる。
 駒井甚三郎は、ただ単に、初対面の書生を引見しただけの気分でしたが、柳田の方は最初からの一種異様な印象が、この時分になって、ようやく不快を萌《きざ》してきました。
 駒井甚三郎がその長い刀の方へ眼をつけると、この船長、これが眼ざわりだな――と変に疑ぐり、駒井が黙っていると、気取って山出しのおれを軽蔑している――柳田の頭は、ようやく反感から僻《ひが》みの方へ傾いて、
「おれは断然、この船長は好きになれない!」
 柳田の頭へ来た印象はこれです。同時に、
「田山白雲氏に対しては、一見、先生と言って尊敬するに堪えるが、この若い毛唐まがいの船長なるものは、おれの口から進んで追従《ついしょう》をいう気にはなれない」
 こういったような空気が湧き出して来たのを、お松が早くも見てとりました。

         百四十六

 そんなような初対面の空気のままで、柳田平治は船長室を引下りました。
 それから船中を往来するごとに、柳田の不快はことごとに増すばかりでした。不快といっても、特に理由があるわけではない、誰もこの男を特に冷遇したり、嘲笑したりする人なんぞは一人もあるのではないが、平治が船の中を歩くと、行き逢うほどの人が、その長い刀を見て変な目つきをする。それが八分の冷笑を含んでいるかのように、平治には受取れてならない。
 単にこの長い刀を眼の敵《かたき》にするのみではない、自分の歩きっぷりがギスギスしているといって、あとで指差して笑っているような気持がする。それにこの中の水夫共までが、みんなダンブクロを穿いているのも癪《しゃく》だ。船そのものの洋式はまあやむを得ないとしても、船長をはじめ、衣裳風采まで日本人のくせに、毛唐化せねばならぬ理窟があるか。
 こんな船の中に、どうして、あの豪傑肌の田山白雲先生が一緒におられるのか、それがそもそも一つの不思議でならない。
 田山白雲のための船の一室におさめられた柳田平治は、そこで、彼は長い刀を枕にして、ゴロリと横になって、船室の天井に向けて太い息をふっと吹きかけ、
「いやだ、こんなところに長居をしたくない、そう思うと一刻もいやだ――本来、おれは江戸へ出て武者修行をするつもりで来たのだ、こんな毛唐まがいの船の中へ捕虜にされるつもりで来たのではない」
 こう言って、奮然として起き、枕とした例の長い刀を取り上げてみたが、さすがにまた思い直さざるを得ざるところのものがある。
「第一、手形がない」
 道中唯一の旅行券を渡頭《わたしば》で、いい気になって居合を抜いた瞬間に、何者にか抜き取られてしまっている。ちぇッ。
「第二、田山先生に済まない」
 駈落者護衛の使命だけは無事に果したが、まだ、少なくとも
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