させる、それが交易《こうえき》というものだ――交易の講釈は貴様がお師匠で、飽きるほど聞かされている、いやとは言えまい」
「いやどうも、敵すべからずでげす、何とあいさつを致していいか、鐚助、このところ返答に窮す」
「窮することはない」
「弱りましたな」
「弱ることはない」
「とにかく――その、殿様、殿様のおっしゃるところにも、そりゃ一理あるにはありますが、どうもはや……とにかく、女房はいけませんよ、主ある女はいけません、何でしたら、そのうちいいのを物色いたしまして、殿様のお望みを叶えることに致しやしょう、そう短兵急におっしゃられては困ります」
「逃げ口上は許さぬ、おれがいったん口に出した以上は、横にでも、縦にでも、車を押切るのだ」
「でも、人の女房はいけません、主ある女はいけません――ほかに」
「なぜ、いけない」
「なぜとおっしゃりましても、売り物買い物なら、それは差支えございません、素人《しろうと》でございましても、色の恋のというまでもなく、得心ずくでしたら、そりゃ横恋慕《よこれんぼ》もかなうことがございましょう、毛唐とはいえ、れっきとした商館の女房を取持て――こりゃ御無理でござんしょう」
「無理でない」
「無理でないとおっしゃるのが、無理の証拠でござんしょう」
「無理でない――なるほど、こっちの倫理道徳から言えば無理かも知れないが、毛唐の奴には無理でない」
「毛唐と申しましても、人間の道に二つはございますまい」
「ある、二つも三つもある、毛唐は即ち外道《げどう》なんだ、聞け、鐚公、こっちでは、娘のうちももとより、女の貞操というものを重んずるが、女房になってからは絶対的だ、娘のうちは多少ふしだらをしても、どうやら女房に納まった後は不義をしない、また売女遊女の上りでも、人の女房となれば、日本の女は貞操を守るというのが習わしだ、ところが、毛唐の女は違う、娘のうちは存外品行が正しいが、女房になってからかえって貞操を解放する習わしだと聞いている、もちろん、みんながみんなそうではあるまいが、毛唐の方では、比較的自由であると聞いている、だから、人の女房でも、存外たやすくもの[#「もの」に傍点]になると聞いている――おれが知っているそのくらいの風俗を、貴様が知らないはずはあるまい、どうだ、真剣に返事をしろ」
主膳の三ツ眼が青い炎を吹いている。
百五
金助改めびた[#「びた」に傍点]助は、こういう場合に、主膳の意に逆らうような文句を以て応酬することの、かえって火に油を注ぐようなものであることだけはよく知っている。
そこで、忽《たちま》ちに論法を一変してしまって、ことごとく神尾の言い分に同じてしまいました。そうして、毛唐なんていうものは、要するに獣の部類に属するもので、お体裁ばかりは作っているが、その実、人倫なんぞは蹂躙《じゅうりん》してかまわない、その証拠としては、衣冠束帯などの儀式を知っているものは一人もなく、男はみんな仕事師同様の筒っぽを着ている。
女は鳥の毛や毛皮を好んで着たがるが、それは今いうところのお体裁ばかりだから、室内にいる時は裸になりたがる。ごらんなさい、毛唐の女の絵といえば、八分通りはみんな裸でげすからな。裸になれと言えば、どんな高尚な奥様でも裸になるばかりか、その裸姿を絵に描きたいからと言えば、どんな高尚な奥様でも二つ返事で、その裸を描かせてくれる。そればかりじゃがあせん、その裸の姿を、大勢の見るところの書画会かなにかへ持って来てさらしものにすると、どんな高尚な奥様でも、御当人嬉しがること、嬉しがること。
そこへ行くと日本の国の女なんぞは、肌を人に見られると舌を噛《か》んで死んでしまう。たいした違いでげす。日本の女は肌をさらしものにされることを恥辱と心得ているが、あちらの方は、素裸を社会公衆の前にさらしものにして、それが御自慢なんでげす。つまり、人間のこしらえた衣裳なんぞを引っかけたのでは天真の美を損ずる――わが女房の一糸もかけぬ肉体をごろうじろ、この通り天の成せる艶麗なる美貌――テナわけでがあしてな。
でげすから、なあに、商館の番頭の女房といえども、支配人の細君といえども、話の持ちかけようによっては、どうにかならない限りはがんすまい。びた[#「びた」に傍点]一代の知恵を搾《しぼ》って、腕により[#「より」に傍点]をかけてごらんに入れますから、少々お気を長くお待ち下さい。そもそも兼好《けんこう》ほどの剛の者がついておりながら、高武蔵守師直《こうのむさしのかみもろなお》が塩谷《えんや》の妻でしくじったのも、短気から――すべて色事には短気がいちばんの損気。
というようなおべんちゃらを、びた[#「びた」に傍点]助が繰返して、またともかくも神尾主膳を一応まるめ込んでしまいました。
さて、それか
前へ
次へ
全138ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング