度のことは、いわば藤原家の破滅の瀬戸際と申すような場合なんでして、それで、親類や、支配人のお方が相談して、御主人の伊太夫様がこれへお着きになる前に、お銀様の様子を見届けた上で、その傍について仕事を助けている人たちのうちにも、物のおわかりになる方もございましょうから、その方にお目にかかって、こういうわけだということを一通り呑込んで置いていただきたい、そうでないと、伊太夫様が乗込んで、またお銀様と、旅さきで劇《はげ》しい親子争闘でもなさろうものなら、手のつけようがない、こういう心配から、わたしが頼まれて、伊太夫様がお立ちになる前に、抜けがけをして、これまでまいりましたような次第でございます」
飛脚が長々と物語るのを、関守氏はなるほどと聞きました。
「御尤《ごもっと》もです。ですけれど、われわれがお附き申している上は、その辺はまず御安心くださるようお伝え願いたい――拙者は、つい先頃まで、昔の不破の関屋の跡の留守番をつとめておりまして、もとは名もなき中国浪人なのですが、つまらないことから国を出て、もうかなり娑婆《しゃば》ッ気《け》は抜けました、人を焚きつけて旨《うま》い汁を吸おうなんぞという骨折りは頼まれてもやれません。しかし、お銀様のなさることは、空想のようで、必ずしも空想ではないのです。どうせ、この浮世のことですもの、永久に牢剛なるものとてはあるはずはない、まず、やるだけやらせてみることです、思ったほどに危険はありませんよ」
三十九
飛脚とはいえ、ただ通信機関の役目を果すだけの使ではなく、よく情理を噛《か》み分けて話のできる相手だと思いましたものですから、不破の関守氏も洒落《しゃらく》にことを割って話しかけたようです。
座敷と縁とで、二人がこうして話し合っている間、上手《かみて》の方では、鑿《のみ》や鉋《かんな》の音が相当|賑《にぎ》わしいのですが、一方の淋《さび》しい庭の木戸口から、不意にこちらへはいって来たものがありました。
それは、女の子ですけれども、一見してお雪ちゃんでないことは明らかです。汚ない布子《ぬのこ》を着て、手によごれた風呂敷包を抱え込んでいましたが、案内もなくはいって来て、それを咎《とが》められる前に、早くも関守氏の前の庭先へ、ピタリと土下座をきってしまい、
「お願い申します」
「何だ、何です」
咎めるようで、関守氏の応対は存外|和《やわ》らかなものでした。
「お願い申しまんな、わしが身をこちら様でお使い下さらんかいな、こちら様へ上れば、どないにしても使って下さいますそうな、そないに麓《ふもと》で聞きましたから、押してまいりましたさかい、お使い下さいましな」
関守氏も、この返答にはちょっと困ったようでしたが、
「どこからおいでなすったエ」
「甲賀郡から参りました」
「一人ですかい」
「はい、御奉公をいたしておりましたがな、どないにもつとまり兼ねますさかい、出てまいりました」
「奉公先を出て来た? 御主人に断わってか」
「いいえ」
「親御たちは承知かな」
「いいえ」
「じゃ、逃げて来たんだな、逃げて来るとはよくよくのことだろう、とにかくここにいなさい」
「有難うございます」
「まあ、裏へ廻って足を洗いなさい」
「はい」
「足を洗ったら、そこらの掃除をしなさい」
「はい」
「飯をたべたか」
「はい」
「まだだな。では台所へ行ってな、大工さんのおかみさんがいるから、ちょっとここへ来るように言ってくれ、大工さんのおかみさんに、関守が呼んでいると言ってくれ」
「はい」
「いまお前がはいって来たあの木戸から左へ廻るんだ――いいか、鑿《のみ》の音や、鉋《かんな》の音がしているだろう、あっちへ行くんだよ」
「はい」
汚ない小娘は包を抱えて、指さされた方へ向って行ってしまう。その後ろ姿に何ともいえぬ哀愁を覚えたのは関守氏ばかりではありませんでした。
「逃げて来たのですね」
と、甲州からの仕立飛脚が言いますと、関守氏が、
「いや、一人二人ずつ、このごろはああいうのが見え出しました、なかには首をくくろうとしているのを、出入りの大工が助けて連れて来た青年もおります、今は快く工場に働いていてくれます。働き得る人は、誰でも拒《こば》まない方針を採りたいものだと思っております」
甲州から来た仕立飛脚氏はここに於て、自分はここへ使に来たのだか、入園によこされたのだか、わからない気分にさせられてしまったようです――つまり、なんだか自分もここへ引きつけられて、居ついてしまわねばならないものでもあるかのような気持にさせられてしまったようです。
四十
お銀様の事業の番頭として不破の関守氏が与えられたことは、偶然としても、稀れに見る偶然でありました。
この人は、中国浪人と称しているけれども
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