曰《いわ》く、
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「楠木正成ハ人ニテ作リ、忠義ニ用フルモノナリ」
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唖然《あぜん》として教員先生が言わん術《すべ》を知らなかった。これが軽薄なるデモ倉やプロ亀の口より出でたとすれば、許すべからざる冒涜《ぼうとく》であるが、無邪気なる小学児童が苦心のあまりに出でた作文の結果とすれば、単に一場の笑柄《しょうへい》のみです。
ついでにもう一つ――これは大菩薩峠の著者が、小学校時代、七つか八つ頃親しく隣席で聞いた実話――同様の目的で、受持の先生が、「先生」という題を生徒に課しました。先生というのはつまり教師のことで、師の恩ということは、日ごろ口をすくして教えてあるのですから、もはや小さい頭にも充分の観念は出来ていると見たからでしょう。そうすると著者の隣席の同級の、しかも女の子でした、苦心惨澹して、石盤の上に認《したた》めた名文に曰く、
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「先生ハ人ヲ教ヘテ、銭ヲ取ルモノナリ」
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これを一読したその時の先生は、よほど短気の先生であって、これを見ると赫《かっ》とばかりに怒り、
「いつ先生が銭を取った!」
その時分には、小学校に於ても相当に体罰が流行《はや》ったものです。いきなりその女の子にビンタを一つポカリと食わせましたが、少し神経痴鈍な女の子でしたから、別段、泣きもしないで、何の故に自分が打たれたのだか理解する由もないような面《かお》をしていたのと、その時の先生のすさまじいけんまくは、いまだに著者の目に残っている。
「何々ニ遊ブノ記」の記事文の型も、その前後に流行したもので、われわれ小学生も、必ずその書出しには、「コノ日ヤ天気晴朗」と、「空ニ一点ノ雲無ク」と、「一瓢《いつぴょう》ヲ携ヘ」は必ず書かせられたものです。雨が降っても、風が吹いても、天気晴朗と書かなければならないものだと心得ており、携えた一瓢の中は何物だかということは、説明を与えられることもなく、説明を求むるほどの知恵もなかったものです。
しかし、今日、このところ、道庵先生のハイキングに当って、天気晴朗にはいささか申し分があるけれども、一瓢を携えたことだけは一点の疑う余地はありません。
三十二
道庵先生のハイキングコースは、上平館《かみひらやかた》を出でて、通例だれもがする小高野から鞠場《まり
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