ば》へかけての胆吹の表参道であります。
それを、一瓢を携えた道庵先生が、ふらりふらりと上り出すそのいでたちは、草鞋脚絆《わらじきゃはん》の足ごしらえをよくした、平生の旅の通りであります。顔面のある部分に少しずつ貼紙をしていて、ここにいささか異状があるのですが、貼紙というのは、一昨夜上平館の下へ迷い込み、進退|谷《きわ》まって、助けを呼んだあの時の名残《なご》りであります。
衣服の方の満身の創痍《そうい》は、もう誰かの心づくしで、すっかり癒されている。そこで道庵先生がいい気持で、胆吹のハイキングコースにとりかかったことは珍しいことです。
江戸を出でて以来、中仙道をここまで百里にわたる旅路ですけれども、この途中ハイキングと名づくべきほどの経験はありませんでした。最も高い地点といえば、碓氷峠《うすいとうげ》なのですが、あれはハイキングのためのハイキングではなく、国道の幹線が、当然上りになっているところを上り来ったまでであり、その他に於て高いところとしては、尾張の名古屋城の天主へ登った程度ぐらいのものでしょう。それを今日は、胆吹山という、れっきとした山岳に向って正真正銘のハイキングの一筋道を行くのだから、少なくともこの道中唯一の異例であります。
しかし、この先生のハイキングぶりを見ていると、甚《はなは》だ心もとないものがある。第一、道中の際は、あのひょろ高い背で、肩であんまりすさまじくもない風を切り、反身《そりみ》になって、往還の士農工商どもを白眼《はくがん》に見ながら通って来たものですが、山登りにかけては、あんまり自信が無いと見えて、もうそろそろ、体が屈《かが》み、腰が歪《ゆが》み、息ぎれが目に見え出してくる。そこで、先生のハイキングぶりが甚だ怪しいもので、ハイキングというよりは「這《は》いキング」とでもいった方がふさわしいかも知れぬ。現に、もう息を切って、杖を立て、足を休めてしまいました。
そうすると、右手の松柏《しょうはく》の茂った森の中から、やさしい声が起りました、
「先生」
「何だい」
「ちょっと、こちらへおいでなすって下さい」
「何だね、どうしたんだね」
「ちょっと見て頂戴、まだ、よくわたしにはわかりませんから」
「そうか、では見てあげる」
路と林との中で、この問答が起りました。
森の中から先生と呼びかけたのは、しかるべき少女の声で、これに答えたの
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