かしたそうだが、どうだ、七兵衛老爺、今晩は心得たものだから、出るならひとつここへ出てみないか。ここなら四方《あたり》に憚《はばか》る者はない、思う存分貴様のヒュードロドロを見物してやる、出るなら出てみろ。
というようなそぞろ心に駆られていると、不思議に身の毛がゾッとしてきて、現在誰か一人、背後に廻ったような気分があるが、これは気のせいだ。
さて、今晩はここに納まり込んで、明日の日程だ――そうそう悠々閑々としてもおられない。三日間を限って、とにかくそれまでには、いったん月ノ浦の無名丸まで立帰らにゃならぬ。限られたる日程だが、実をいうと、おれはまた慾が一つ出て来たのだ。
それは、恐山へ行って見たいという慾望だ。
柳田平治を発見してから、なんとなく恐山という名に引かされる。一旦は船へ戻るとしても出直して、北上の竿頭《かんとう》さらに一歩を進めて、陸奥《みちのく》の陸《くが》の果てなる恐山――鬼が出るか、蛇《じゃ》が出るか、そこまで行って見参したいものだな。
三十一
変れば変るもので、道庵先生がハイキングをはじめました。
およそ、ハイキングだの、パッパ、マンマだのということほど、道庵先生に縁の遠いものはないのですが、転向ばやりとでもいうのでしょう、とうとうこの先生がハイキングをやり出したことに於て、容易ならぬ非常時を想いやることができるというものでしょう。
ところは北上川の沿岸でもなく、恐山の麓でもありません、近江の国の琵琶の湖畔の胆吹山《いぶきやま》に向って、道庵先生がハイキングを試み出しました。
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「コノ日、天気晴朗ニシテ、空ニ一点ノ雲無ク、乃《すなは》チ一瓢ヲ携ヘテ柴門《さいもん》ヲ出ヅ……」
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明治のある時代に於て、小学校の課目の中に「記事文」というものがありました。その記事文に、一定の型があって、たとえば「車」という課題の下には、
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「車ハ木ト金ニテ作リ、荷ヲ運ブニ用フルモノナリ」
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といったような型でしたが、ある時、或る学校で「楠木正成」という課題を出しました。大楠公《だいなんこう》のことに就いては、修身課に於ても、読本課に於ても、充分の予備知識が与えてあるのだから、先生もその点は安心して、右の課題を出したのですが、一人の生徒の答案に
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