しい。従って、教育もなければ、教養もない。しかし、官能だけはどうやら人間並みに発達していて、特に音楽は好きでした。
好きといったところで、高尚な音楽を味わうほどの教養はなし、また特に教養以上に超出する天才でもなし、ただ、横好きというだけで、見よう見まねに音楽をやることが、まずこの男の唯一の趣味でもあり、生活の慰安でもあったでしょう。
ところが、地球上の津々浦々を家とするマドロスの境涯に、一つの恵まれた役得というのは、その国々に行われるところの異種異様の音楽なり、舞踏なりを、その国ぶり直接にひたることができるという特権でありました。
ですから、この唄にしても、日頃やる怪しげな舞踏にしても、巧《うま》いとか拙《まず》いとかいうことは別として、ともかくも、みんな直接本場仕込みであることだけは疑いがないのです。本場仕込みと言ったところで、おのおのその国の一流の芸事に触れて来たというわけではないが、気分にだけは相当にひたって来ているのですから、今、スペインのフラメンコをやり出そうとも、ナポリのタランテラを振廻そうとも、それが物になっていようとも、いなかろうとも、ともかく、自分みずからその境地に身を浸して拾い取って来たのですから、一概にごまかしと軽蔑してしまうわけにゆかないのです。
そこで、兵部の娘が、このマドロスの人品の下等なことと、その音楽の怪しげなことを忘れて、その怪しげな音楽を通じての、遥《はる》かの異郷の人類共通の声というものに、多少とも動かされざるを得なかったのでしょう。
十八
このマドロスのような下等な毛唐《けとう》めに、たとえ何であろうとも唆《そそのか》されて、共に道行なんということは、日本人としては、聞くだに腹の立つことのようであり、兵部の娘としても、たとえ常識は逸していても、官能はあるだろうから、好きと、嫌いと、けがらわしいのと、けがらわしくないのとは相当鋭敏でなければならないはずだが、それはさいぜん会話の時のように黒船の誘惑と、異国情調の煽動に乗せられた点もあるかも知れないが、他の大きな原因は、お松という同乗の朋輩《ほうばい》に対する反抗心と、それから駒井甚三郎に面当てをしてやりたいという心とが、そもそもの出発点ではあったけれども、もう一つ御当人の気のつかないのは、この音楽というものの魅力でした。
この、野卑で、下等で、且
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