から迸《ほとばし》り出たのに違いないのですから、一旦は狼狽したが、もとより相当な奴ですから、ここらで内兜《うちかぶと》を見せるようなことはない。こうなると、意地にも強気を見せるものごしになって、
「どなた様か存じませぬが、この一品を買ってやるとおっしゃいましたのは、そちら様で……」
「買ってやるから、こっちへ持って来いよ」
「いや、わかりました、有難い仕合せで。なにも、お買上げくださりさえすれば、どちら様で悪いの、こちら様でなければならないのと申す次第ではござりませぬ」
と言って、その一腰を取り上げると中腰になりました。
 相当薄気味の悪い声ではあるけれども、主のわからない方面の買主に向って、この頬かむりの野郎があえて人見知りをしないらしい。
「まっぴら、ごめんくださいまし」
 但し、あちらの秋草の襖の中の、新しく出でた買主のもとへ行くには、どうしてもこの女王の居間を失礼して突切らなければならないことになっている。いや、後戻りをすれば、廊下を廻って行けるには行けるに相違あるまいが、あちらからこう出られてみると、こっちの行張り上、また廊下をうろうろして出戻りなんぞは、第一、舞台面の恰好がつかないとでも思ったのか、それで敢《あ》えてこの女王の居間を失礼して、突切らせてもらって、新しい買主に面会を求めようと、小腰をかがめて進入してきたのは全く許せない挙動だが、お銀様はまだ、冷然としてそれを咎《とが》めようともしないで、眼の前を通る代物《しろもの》を空しく看過しておりました。
 そこで、いよいよ図にのった、この白徒《しれもの》が、「まっぴら、ごめんくださいまし」と、色代《しきだい》するような手つきをして、膝行頓首《しっこうとんしゅ》、通り過ぎて行く。その形がまた、いよいよたまらない芝居気たっぷりでもある。
 こいつが、お銀様の父伊太夫を関ヶ原で狙《ねら》った、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百というやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎であることは申すまでもありません。
 根が、このがんりき[#「がんりき」に傍点]というやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎は、こういう色男気取りに出来ている。たちばな屋とか、よこばな屋とかの切られ与三《よさ》といったような芝居気が身についている男なのです。だから、これを街道筋の馬子上りや、場末の長脇差くずれと見られては、当人納まらないだろうと思われる
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