ましてな」
「では、お前は、わたしのお父様の旅をなさるあとをつけて、何か奪い取ろうとしたのですね」
「いや、その、ちょっとね、ちょっと行きがかりに、今いう、その、路用てやつを少々おねだり申したいと、こう思いましたばっかりなんでげすが、それが、その、みんごとしくじって、瓦っかけを抱かされちまったのが一代の失敗《しくじり》、これじゃ商売|冥利《みょうり》に尽きるといったようなわけで、再挙を試みたが、さいぜん申し上げる通りの用心堅固、大津まであとをつけて、やっとの思いでこの一腰《ひとこし》を拝領に及びました、そこで様子を窺《うかが》って見るてえと、この大物の身上がすっかりわかりました。わかりましたけれども、このうえ押せば、こっちの足もとが危ない、それ故《ゆえ》よんどころなく、この一腰だけを拝領に及んで引上げてまいりました。そこで、改めて今度はそれを御縁に、お嬢様のところへ伺いを立てに参上致した、と、こういったわけなんでございます」
「では、わたしの父親の方は用心堅固で、どうにもならないから、わたしの方は女の身だからどうにでもなると思って来たのかい」
「そういうわけじゃございませんが、そこは親子の間でいらっしゃいますから、何とかまたお話合いもできそうなものと、この一腰を証拠に、こうしておあとを慕って参りました、上平館《かみひらやかた》てのへお伺いしてみたんでげすが――お嬢様は長浜へお越しになっていらっしゃる、てなことをお聞き申したものですから、こうおあとを慕ってまいりました。どうかひとつ、この一腰をお買求めが願いたいんでげして……」
「いけません」
とお銀様が、きっぱりと答えると、頬かむりのままで男が少し居直りの形になって、
「じゃあ、これほど頼んでもお聞入れがねえんでございますか」
 いよいよ紋切型の凄《すご》みにかかろうとすると、もう一間隔てた向うの座敷から、
「その脇差とやら、買ってやるからこっちへ持って来い」
 氷のような声が聞えました。

         七十九

 この不意打ちの、冷たい一語の思いがけない抜討ちに、さすがの説教もどきも、骨までヒヤリとさせられたような狼狽《ろうばい》ぶりで、
「え、え、何とおっしゃいます」
 思わず向うの座敷を見込んだのですが、それは秋草を描いた襖《ふすま》のほかに何物もないのです。しかし、言葉はまさにこの秋草を描いた襖のあなた
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