いますよ、もっと右から左へ融通の利《き》く、山吹色の代物ってやつをたんまりと頂戴に及びたかったんでございますがねえ、いや、さすがに、大身の旦那だけあって、お身の廻りの厳しいこと、御当人は鷹揚《おうよう》のようでいて、更に御油断というものがございません、それにあなた、附添のが野暮な風《なり》こそしていらっしゃるが、これがみんな相当、腕に覚えもあれば、眼のつけどころも心得ていらっしゃるんで、さすがにこのがんりき[#「がんりき」に傍点]――」
と言いさして、ちょっとばかりテレたが、テレ隠しに続けて、
「さすがに、この三下奴の手にゃ合いませんで、初手《しょて》の晩の泊りには、瓦っかけをしこたま掴《つか》ませられちゃいやして、いやはや、その名誉回復と心得て、二度目に出かけてみやしたが、用心いよいよ堅固、命からがらこの一腰だけを頂戴に及んでまいりやしたが、明晩あたり、改めてまたお礼に上らなけりゃなりません」
「いったい、わたしのお父様はどこにいらっしゃるのです」
と、お銀様の方から改めてたずねました。

         七十八

「あなた様のお父様には、わっしゃ、美濃の関ヶ原でお初にお目にかかりました、一昨日《おととい》のあけ方のことでございます」
「関ヶ原で?」
「はい――実あ、その、なんでげして、これが甲州第一の物持でいらっしゃる有野村の伊太夫様だなんていうことは、夢にも存じやせんで、お目にかかっちまったんですが、ようやく昨日の晩になって、はじめてそれと伺いまして、驚きましてな」
「そうして、今はどこにいらっしゃる」
「関ヶ原から、昨晩は大津泊りでいらっしゃいました」
「大津――」
「はい、大津の宿で、はじめてそれと伺いまして、なるほど、がんりき[#「がんりき」に傍点]の目は高いと、こう味噌をあげちゃいましたようなわけなんでございましてな」
「何のために、お前さんは、わたしの父親に逢ったのですか」
「何のためにとおっしゃられると、ちと変なんでげしてな、行当りばったりに、袖摺《そです》り御縁というやつで、つい、関ヶ原の夕方お見かけ申しちまったんですが、今も申し上げる通り、これが甲州第一の物持の旦那様と知ってお見かけ申しちゃいましたわけじゃあござりませぬ、ただ行きずりに、こいつは只者でねえと睨《にら》んだこの眼力にあやまちがなく、お跡を慕ってみますてえと、果して大ものでござり
前へ 次へ
全276ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング