臨機応変の頬かむりにも、相当の型が現われなければならない道理です。或いは髷尻《まげじり》の出しっぷりに於て、鼻っ先のひっかけ具合によって、特に最も微妙にその人格(?)に反映して、浮気女を活《い》かしたり殺したりすることさえある。
大臣かむりといってお大名式なのもある。吉原かむりといって遊冶郎《ゆうやろう》式なのもある。上の方へ巻き上げた米屋さんかむりというのもある。濡紙を下へ置いてその上へはし[#「はし」に傍点]ょり込んだ喧嘩かむりというのもある――今この場に、こいつがかぶって来たのは、鼠小僧かむり、或いは直侍《なおざむらい》かむりというやつで、相当江戸前を気取ったところの、芝居気たっぷりのかむり方でありました。
男女二つの異形《いぎょう》なる覆面の場面へ、新たに一枚の頬かむりが加わったのです。
「へ、へ、お嬢様、あなたは御大家のお嬢様でいらっしゃいます、折入って一つのお願いの筋があって参りましたんで、というのは、ひとつお嬢様にぜひとも、買っていただきたい品がございましてな。決して盗み泥棒をしようのなんぞという悪い料簡《りょうけん》で上ったわけじゃあございません」
何といういや味なイケ図々しい物の言いっぷりだろう。
ところが、お銀様も存外、落着いたもので、静かに、しかし強く、
「お帰りなさい」
七十六
ところがいやな奴は、いよいよしつこくからんで、
「そう権柄《けんぺい》におっしゃるものじゃございません、せっかく、こうして危ない思いをして、人目を忍んでお願いに上ったんじゃございませんか、そこは、何とか三下奴《さんしたやっこ》を憫《あわ》れんでやっておくんなさいましよ。実はねえ、お嬢様、ぜひあなたにひとつ買っていただいて、それを、このしがねえ奴が路用にして、これから国へ帰ろうてえんでございますから、お願いですよ、とにかく、代物《しろもの》をひとつごらん置きを願いましょうかな」
と言って、頬かむりの奴が、後ろの方へ手をやって掻《か》いさぐったかと見ると、何か一物を取り出して、お銀様の部屋の中へさし出しました。見ると、それは一本の脇差でありました。脇差といってもなかなか本格の渋いこしらえがしてあって、特に艶《つや》を消して道中差にこしらえたもの、一見して相当の品ではあるらしい。この脇差を一本、お銀様の目の前に投げ出した頬かむりの男は、
「へ
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