相違ないが、お銀様にもまたたのむところがあると見えて、あえて驚かないのは前と同じです。ところで頬かむりが、
「へ、へ、お嬢様、わっしはこう見えても盗人に来たんじゃごわせん、お嬢様をお見かけ申して少々|合力《ごうりき》にあずかりてえとこう思いましてな――それをひとつ聞いていただかなけりゃなりません」
と、いよいよ猫撫声で、膝小僧をじりじり[#「じりじり」に傍点]と進めて、乙にからんで来るのです。
七十五
「わたしは、お前のような人に頼まれて上げる義理はない、何か用があるなら、夜が明けてから出直しておいでなさい」
とお銀様は、あたりまえの言い分でたしなめますと、
「そうおっしゃるものじゃございませんよ、お嬢様――」
松助のやる蝙蝠安《こうもりやす》のような、変に気取った声色《こわいろ》をして、襖をもう二三寸あけました。そうすると、お銀様の部屋の行燈《あんどん》の光で、忍んで来た奴の正面半身が見えました。
着物は尋常の二子《ふたこ》か唐桟《とうざん》といったようなのを着け、芥子玉《けしだま》しぼりの頬かむりで隠した面《かお》をこちらに突き出している。
以前に覆面のことがあったから、ここで、頬かむりに就いても一応の知識がなければならないことになる。覆面と言い、頭巾というものは、特に一定の型があって、一応は縫針の手を通さなければならないように出来ているのであるが、頬かむりは違います。
頬かむりというものは、通則として手拭を使用することを以て、今も昔も変らないことになっている。手拭というものは本来、頭巾の代用のために、覆面の利用のために出来ているものではない。木綿を三尺に切って、相当の形に染め上げ、その名分よりすれば手を拭うことにあるのですが、その職分は決して、手だけに専門なるものではない。面も拭えば、足も拭うことがある。時としては風呂敷の代用もつとめれば、繃帯の使命を果すこともある。
演劇で、これをカセに使って見物を泣かせることもある。仁義のやからは、これが一筋ありさえすれば、日本国中を西行《さいぎょう》して歩くこともできる。どうかすると、このものを綴り合わせて浴衣《ゆかた》として着用し、街道へ押出すものさえあるのです。
その効用の一つとして、これを即座の覆面に利用して、称して頬かむりという。本格の覆面にもかぶりこなしの巧拙がある以上は、この
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