この大菩薩峠作中の人物では、宇治山田の米友という人物が、やはり同様の堪忍なり難い癇癖を持っていて、直接行動をやることに馴れている――それは田山白雲とも一面の識はあるのだが、あの男が今この場へ飛び出して来ようはずはない。
 右の裸男は、最初のうちは、こちらを当面《まとも》に川を横に泳いで来るのですから、よくわかりませんでしたけれど、やや深いところへ来ると、身を斜めにして抜手を切り出したものですから、その時はじめてわかったのは、頭の上に自分の着ていた衣類をまるめて帯で顎《あご》まで縛りつけたのはいいが、その頭にのせた衣類の真中を貫いて横に一本、長くてそうして黒いものが線を引いている。
「ははあ、差しているな」
と、田山白雲が再び遠眼鏡を取り上げました。
 差しているな! と言ったのは、一本か二本差しているという意味ですが、一本差すことは、旅の百姓町人といえども、道中を限り許されていることであり、それにも長さに限度がある。あの裸者の頭へ載せたのは、普通平民に向っては制限以上に長いから、少なくも士分に属するものだろうと思われるのだが、その一本の刀の長さが長過ぎるのに比例して、他の一本の脇差の所在がわからない。あの頭上の衣類の中に隠されてでもいるのか、そうでなければ、これは一本だけ特に長いのを伊達《だて》に差す遊侠無頼《ゆうきょうぶらい》のともがらででもあるのか。

         二

 田山白雲が、まだその辺に疑問を持ちながら、多大の好奇心を以てながめていると、右の男の泳ぎっぷりが痛快で、たしかにこのごろはやる水府流を行っているようだ。深いところはあんなにして抜手を切り、中辺のところは乳あたりまで浸して悠々と横行し、浅瀬はしゃんしゃんと飛沫《ひまつ》を切り、かくて河を三分の一あたりまで突破して来た時に、後ろから、かなりの狼狽《ろうばい》と怒罵《どば》とを含んだ叫び声が起りました。
「おーい、どこ行くでア、戻って来もせやい、てんことない、渡場《わたし》を素通りしてはいけねえでば、川破りの罪になるべちゃあ、川破りの罪はお関所破りの罪と同じだべや、戻って来もせやあい」
 右の通りハッキリ聞えるわけではないが、向う岸で声をからしての怒罵号叫は、渡場を守るところの船頭共がこうも言ってさわいでいることに間違いはないのです。
 つまり、この裸男の直接行動は、渡場というものの掟《おき
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