いわんや、いかに善良なりとはいえ、畜類である犬に於てをや。この場へのそりのそりと二頭の犬が現われましたけれども、その二頭ともに餓えておりました。
 餓えているのは、これを保護する人がないからです――これに食物の保証を与える者がないからです。つまり良家の飼犬でなくして、喪家《そうか》の野良犬であったからです。二つの野良犬が餓えて食を求めに来ました。生きている者は本能的に生存権を要求する。自己の生存権が不安である限り、他の生存権をも脅《おびやか》そうとする。
 のそりのそりと飢えたる二つの犬が、前後してこの場へ侵入して来たと見ると、それから五六間おいて、またのそりのそりと二つの犬が前後して現われて来ました。それを見送っていると、次にまたのそりのそりと二頭、三頭――野良犬が前後して、鼻を鳴らしながら、飢えた足どりよろよろとして、同じ方向に向って繰込んで来るのです。
 これがために、松の根方に突立っていた第二の悪魔が、引込みがつかなくなりました。
 江戸時代の御府内に於ての道路の難物は、犬と、生酔いとでありました。その当時は犬に税金がなく、鑑札がなく、また犬殺し家業がありませんでしたから、たとえ五代将軍が保護は加えないにしても、繁殖は盛んでありました。だから、犬は善良なる交通人のための大なる恐怖でありました。白昼に於て然《しか》り、夜に於てなおさらに。
 自分の行手から、餓えたる犬が群がって来たのでは、これを邀《むか》えては事面倒だし、うっかり後ろを見せればつけ入られる。相手が悪い――とでも思ったのでしょう。第二の悪魔、すなわち覆面の姿は、内心苦笑をしながら松の木の下に立ち尽して、けがらわしい相手をそらしてしまおうとでも思案したのか、そのまま動かない。
 不思議なことには、こうして、この覆面が針のように立ちつくしてしまっていると、呼吸が騒がないし、有るかなきかを超越した存在となるのである。そうでなければ、犬はきっとその影だけを見て吠えるに相違ない。善良なる犬に於てもそうです、まして餓えたる犬に於てをや。
 犬が吠えないのは、人の存在を認めないからです。人の存在を認めないのは、人の呼吸を気取《けど》らないからです。松の前に立っている黒衣覆面の人は、見ようによっては松の幹の中に吸い込まれてしまっている人のように、取りようによっては、松遁《しょうとん》の術をでも使い出して、しばし
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