すが、分を知ることの聡明な人に限って、この醜態から手際よく免れる。
そこで、夜は悪魔の領土であり、昼は人間の時間である。
悪魔にも生存の権利がありとすれば、それは夜間に限ってのみ、食を漁るの時間を与えられる。
そこで気の利いたお化けは――お化けというものを仮りに悪魔の親類とみなして――己《おの》れの領土と時間のあまり切迫しない間に、手際よく後方機動の実をあげなければならない。
この場では、一つの悪魔は木の上で藁《わら》の人形を虐殺して、その残忍性と復讐性とを満喫したけれど、引込みが甚だまずかったために、次に現われた悪魔のために食われてしまった。さてその次に現われた悪魔といえども、悪魔である限り、その領分の分界を知らなければなるまい。
そうこうしているうちに、東の方が白んできて、そこで旗を巻くのではもう遅い。
果してそこへ第三の悪魔が現われました。第三の悪魔が、第三の食物を求むるために現われました。
第三の悪魔というのは何ものにして、その求むるところの食というのは何物ぞ?
あらかじめここに一応、時と食との解釈をして置かなければならぬ。
仏教に於ては、正午前だけが時であって、午後は時に非《あら》ず。持戒の僧は午時に於てだけに食事をする。午時を過ぎては「過中不飲漿」である。もし正午十二時を過ぎての非時に於て食事を許さば、貪心《たんしん》たちまち生じて善法を修《しゅ》するを妨ぐる――仏は仏慧菩薩《ぶってぼさつ》のために四食《しじき》の時を説いて、朝の天食、午時の法食とし、そうして畜生のための午後食、鬼類のための夜食――とこうなっている。
そこで、夜は鬼が出て存分に夜食を貪《むさぼ》るという段取りになる。鬼はすなわち悪魔のうちの面利《かおきき》である。
そこで、今や第三の悪魔が、第三の夜食を求めに来た。その現物は何物ぞというに、それは餓えたる犬でありました。
犬というものは、通常、善良なる畜類であって、決して悪魔の眷族《けんぞく》とはいえないが、ただその餓えたる時のみは正真の悪魔です。
六十一
食に飽かしむれば、善良なる有用動物であり、食に餓《う》やせば、怖るべき悪魔であることの可能性は、犬にのみ限ったものではありません。陳斉《ちんせい》の野にいる人でない限り、おおかたの人は餓えしむれば、相当の悪魔となり得る可能性を持っている。
前へ
次へ
全276ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング