だ」
「一匹一人の修行というのも変なものだが、とにかく、道中の手形は持っているだろうな」
「それは持っている」
「見せてもらいたい」
「この通り」
川破りは、懐中袋から相当のものを取り出して役人に示しました。それでも感心に、御法通りのものは持っているらしい。
「八戸城下|小中野《こなかの》――柳田平治というのだな、君の名は」
「左様」
役人はそれを見て、一応は納得したようでしたが、続いてその訊問が、眼前に掟《おきて》を破った川破りのことには触れないで、ジロジロとその長い刀を見ながら、
「君、君の刀は大へんに長い」
「長いです」
男は役人の面《かお》を見上げた。長かろうと、短かかろうと、よけいなお世話だと言わぬばかりに、
「三尺五寸あります」
「素敵に長い――抜けるかね」
「抜けない刀は差さん」
「ひとつ、抜いて見せてくれないか」
「見せ物にするために差した刀ではござらぬ」
「とにかく抜いて見せ給え」
「見せるために抜くべきものではござらぬ」
「それを見たいのだ」
今まではかなり温顔にあしらっていた役人が、はじめて多少の威権を示しての言葉でしたから、見物の者をヒヤリとさせました。
七
一方のは刀は見せ物ではないというのです。抜いて見せろと言っても、抜くべき理由と事情が無い限り、抜けないというのが一方の主張で、それをやや高圧的に、是でも非でも抜いて見せろ――とカサにかかり出したのが役人側の態度でした。
こうなると、一方が威権に屈従しない限り、職権の発動とならなければならない。その雲行きを見て、附添って来た村役人の老巧らしいのが、白髪頭《しらがあたま》を振り立てて川破りの小男に向って来て、なだめるように次のような理解を試みたのを、白雲は、村役の白髪頭と共に耳にうつしとって、目附の役人が高圧的な要求も必ずしも無理ではないと思いました。
というのは、南部の盛岡の城下で、つい数日前、人を斬って逃げた者がある。斬ったのは何者かわからないが、斬られたのは家中でもかなり身分の重いものであるらしい。その犯人の行方《ゆくえ》を探し求むるがために、それとなく御出張になったもので――ともかく、目星をつけた人に、一応刀を抜いて見せてもらうことが、これまでの例になっている。人を斬った以上は、血のりを拭い去ろうとも去るまいとも、その当座は膏《あぶら》が浮いている
前へ
次へ
全276ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング