一稼《ひとかせ》ぎだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、こう言ってお蘭どのの、らんじゅく[#「らんじゅく」に傍点]した面をまじまじと見つめると、
「いやな人だね、なんて目つきをするんだよ」
お蘭どのが、手をあげてぶつ真似をしました。
五十二
「おっかあ、おっぱいが一ぱい飲みてえ」
「何だね、そこに、さっきから番茶が汲んであるじゃないか、冷えちまうよ」
「二番煎じが飲みてえ」
「何を言ってるんだね、夜が明けちまうじゃないか」
「遠慮なくお休みなさいよ、わっしゃ、いま言う通り、これからまた一稼《ひとかせ》ぎだ」
「せわしい人だね、いったい、これからどこへ稼ぎに行くんだよ」
「関ヶ原まで、もう一合戦」
「冗談《じょうだん》じゃない」
「冗談じゃありません、こう瓦っかけの上げ壺を食わされたんでは、がんりき[#「がんりき」に傍点]もこのままじゃ引込めねえ」
「何か喧嘩でもして来たのかね」
「一合戦だと言ってるじゃねえか、乗るか反《そ》るかだよ、瓦っかけの仕返しを一番」
「何のこったかわからないが、こっちの鬱金木綿《うこんもめん》でけっこう埋合せがついたからもういいじゃないか」
「なあに、こんな甘《あめ》えんじゃいけねえ」
「お休みな、飛騨の高山からじゃ、ずいぶん疲れているだろうに、ねえ」
「なあに、足なんざあこっちのもんだ、どれ、もう一稼ぎ出陣とやらかすかね」
「いけないよ、もうお止しな」
「留めるのかい」
「まあ、なんにしても、おっぱいを一つ飲んで、落着いてお出かけ。お前さんはそうして、仕返しだか、出稼ぎだか、何だか知らないが、気忙《きぜわ》しく出かけてしまって、置いてけぼりのわたしはいったい、どうなるんだよ、路用はいただいたが、これから、どこへ出向いて、どこで待っていてあげりゃいいのさ、ちっとは相談もあるじゃないか」
「違えねえ――お前はこれから、明日の朝になって、ここの勘定を済ましてから、なにげなく上方《かみがた》へ向って旅立ちな――さよう、草津か、大津か――そんなところでは人目にかかる、こうと、いいことがある、少々道を曲げて石部《いしべ》の宿《しゅく》なんざあどうだね、石部の宿の仮枕なんざあ悪くあるめえ」
「乙だね」
「石部には大黒屋という宿がある、あれへ行っておとなしく泊っていな、明日の晩までにはおいらが大物を一つ料《りょう》って、石部
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