一面に散らしたのは、封の切れない切餅もあれば、霰《あられ》のような一朱二朱もあるし、小粒もあるし、全く、瓦っかけや石ころでないのみならず、即座の使用に堪え得る天下の通貨が、大小取交ぜてザクザクと降って湧いて来たからです。
 といっても、要するに鬱金木綿が呑んでいたところの胃の腑の程度ですから、曾《かつ》て根岸の三《み》ツ目錐《めぎり》の屋敷で、裏宿の七兵衛が、鎧櫃《よろいびつ》に詰めて置いて、神尾主膳に思い切って突き破らせたあの程度とは、規模も、内容も、おのずから違うのです。けれども、あの時はあれで、破る方も、破らせる方も、また当の目的物たる鎧櫃も、充実しきっていた予想と内容の下に行われたのだから、案外の程度に於ては、この場合と比較にはなりませんでした。
 然《しか》るに、今のこの場合は、瓦っかけでさんざんにテラされたところへ持って来て、この内容なのですから、悪党がるほどでもないがんりき[#「がんりき」に傍点]が音《ね》をあげたのも無理はないところで、
「百両百貫!」
 見得《みえ》も外聞も忘れて、両手を挙げてみたものです。しかし、百両百貫という計算もかなり大ザッパなもので、両と言い、貫と言っても、貨幣史上の相場には、非常な動揺があるのですから、一概には言えないが、ともかく、こうして黄金であるところの小判というものがあり、一朱二朱の銀判があり、それからザラ銭が相当小出しにしてあるところを見つくろっても、無慮百以上の両目は確実なのですから、そこで絶叫しました。
 なあに――百の野郎とても、相当に悪党がる奴なんですから、僅か百両や百貫で度を失うような真似《まね》はしたくはないのですが、何をいうにも、前には大物と踏んだところのものが瓦っかけと化したその反動に加えて、今度は鬱金木綿がこれだけのものを呑んでいたのですから、その上り下りに度胆を抜かれただけのものでしたが、ややあって、急にやにさがって、どんなものだという面《かお》をして、
「だろうと思ったんだ、あれだけの同行のうち、あの作男の草鞋《わらじ》だけが、ちっと切れっぷりが違ったところを見て取った、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の眼力に狂いはねえんだよ」
 その言葉が、お蘭どのにはよく呑込めない。
「どうしたというんだね」
「いや、どうもこうもありゃしねえ、お蘭さん、お前はこいつを持って一足先に行きな、おいらあまた
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