来たものがありました。
この一行の旅人は普通の旅人ではない。見たところ、世間並みの庄屋の旦那どんが、小前小者《こまえこもの》をつれて旅立ちをしている程度のものでしかあり得ないようだが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎の第六感で、「これは大物だ」と受取ってしまいました。三井とか、鴻池《こうのいけ》とかいう素晴しい大物が旅をする時、わざと大がかりを厭《いと》い、なんでもない旅商人のようにカモフラージを試むることがあるとのこと、こんなふうにやつして旅をしているが――こいつは只物でねえ――と見破ったがんりき[#「がんりき」に傍点]は、そこはさすがに商売柄でありました。
お蘭どのという淫婦に、三百両の金を、見ん事、飛騨の高山から持ち来たして見せると頑張ったが、ものの見事に破れて、素手ですごすご帰る、その埋合せの帰りがけの一仕事としては持って来いだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、急にほくそ笑みして、その天性の早足をわざと渋らせつつ、見え隠れに、この一行のあとをつけたが、そういうこととは露知らず、一行の旅の主は、疑うべくもなくお銀様の父、急に甲州有野村を微行《しのび》の旅の体《てい》で出立した藤原の伊太夫であります。
この一行が関ヶ原の旅を急いで行くと、新月が淡く原頭のあなたにかかって、黄昏《たそがれ》の色は野に流れておりました。
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、背後《うしろ》から――その一行、大小取交ぜて五人連れでした――その五人をいちいち吟味しながら、つけて行ったが、いずれもがっちりしていること意想外であるのに驚かされたようです。
第一――その主人公と見えるのが、大様なふうではあるが、なかなか隙がないし、附添の者みな質朴に外観をいぶしているが、いずれも油断がない。
別に親の仇をねらうわけではないから、人間そのものには望みはないけれど、この五人のうち、誰が現ナマを最も多く保管しているのか、それに当りをつけるのが要領だが、どうもがんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎の眼力《がんりき》をもってして、五人のうちのどれが金方《きんかた》だか、ちょっとわからないのが自分ながら歯痒《はがゆ》い。
四十二
伊太夫一行の泊った旅宿は、さきにお銀様の泊ったと同じ関ヶ原の本宿でありました。しかもその室さえ同じことに、娘の泊った座敷へ、
前へ
次へ
全276ページ中57ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング