以外には、一歩も出ませんでした。
 お銀様を助けて、その事を為さしむるというのは、お銀様を担《かつ》いでその実権を握ろうというのとは違います。徹頭徹尾、脇師をもって自分の天賦《てんぷ》と心得たかのように、主役としてのお銀様を立てることは、本心から然《しか》るのでありました。
 さればこそ、心のアクが抜けている。アクが抜けているから、人をそらさないのです。来るほどのものを、皆そらさず取入れて、それぞれの仕事に働かせることに於て、まだ日が浅いけれども、十二分の成績をあげている。彼は第二段として、集まる人の信仰、或いは集中の対象となるべき大本殿の建築を計画している。
 山師として見れば、また立派に一個の山師たる素質を備えているかも知れないが、本人自身は山気《やまけ》はない。
 偶然とはいえ、こういう役者は求めて容易に得られるものでなく、与えられたお銀様の事業のためには、無上の人物です。

         四十一

 そこで、不破の関守氏の人徳が、お雪ちゃんのように敢《あ》えて誘惑を試みないでも、相当に人を惹《ひ》きつける力を持っている。
 仕立飛脚で甲州からやって来た人でさえも、話し込んでいるうちに、自分も甲州へ帰らないで、いっそ、この王国の中へ住み込んでしまおうかという気になる。
 どこから伝え聞いて来たか、包一つを抱えた田舎娘《いなかむすめ》は、立ちどころに拾われて、もう水仕事をしている。
 それはそうとして、今も飛脚氏との会話のうちにあった、この胆吹王国の女王お銀様の父なる人、甲州第一の富豪――有野村の伊太夫が、また上方見物に名を仮りて国を出で、もはや、この地点近いところあたりまで来ているはず――ということは真実でした。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という、腕の一本ないやくざ者が、お蘭どのという淫婦の御機嫌を取るために、わざわざ危険を冒《おか》して飛騨の高山まで引返して、そこの芸妓《げいしゃ》に預けっ放しにして置いた大金を取りに戻って見ると、その芸妓は一昨日、宇津木兵馬という若い侍と共に駈落をしてしまったということ、出し抜かれて苦笑いのとどまらないがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎が、すごすごと舞い戻る途中、美濃の国の関ヶ原まで来ると、容体ありげな数人連れの旅の一行の者とすれすれになる途端、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎の頭にピンと
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