屋も、座敷も、みんな蚕室になってしまうのじゃ。竹刀《しない》だこ[#「だこ」に傍点]のある手で桑の葉を刻み、巻藁《まきわら》をほぐして、まぶしを作ろうという騒ぎだ。それで首尾よく繭《まゆ》が取れ上ると、それを藩の手でとりまとめて宰領し、長崎へ持って行って和蘭《オランダ》商館へ二十五万ドルで何の苦もなく取引を済まして帰って来たという豪勢さだ」
「なるほど――越前様のお倉元は大へんに宜しいと承りましたが、左様な抜け目のないお取引がおありでしたかな」
「あっちの金で二十五万ドルだから、こっちの両にすると一ドルが四両、都合百万両ばかり一夏に儲けてしまった。そうしてな、その百万両を、すっかり一分金に両替をして国もとまで運ぶという段になったのだが、それがまた一仕事でな、長崎奉行に届け出て、お金荷物の先触れを頼み、一駄に千両箱を二つずつ積んで、五百駄近くの大した行列が、長崎から越前まで乗込んだものだ」
「いや、恐れ入りました、銭五もはだし[#「はだし」に傍点]でございます、越前様には、すばらしいお目ききがいらっしゃいますな」
「左様、肥後の熊本から来た横井小楠《よこいしょうなん》という奴が、頭もあり、はらもある、なかなかの奴でな。その弟子の由利という奴にまた腕がある。これは越前一国のことじゃない、応用すれば日本全国にひろがる利用厚生の道なのだ。我々とても資金さえあれば、そのくらいのことはなし兼ねないが、何をいうにも越前ほど自由が利《き》かなかったのが、幸い今度はひとつ……」
 こういう会話を神尾が聞いていると、またムラムラと癇癪が起りました。武士のくせに町人の向うを張って、毛唐を相手に何百万両もうけたとて何になる!
 だが、おれは天下の直参《じきさん》であるのに、いつもピーピーで、三両五両の小遣《こづかい》にも困らされがちなのに、七万両だの、二十五万ドルだの、百万両だのと、金銀を土瓦のように舌頭であしらっている。癪にさわる奴等だ。もうそんな話は聞いてやらねえぞ!
 神尾がこうむつ[#「むつ」に傍点]かり出して、ひとりじりじりしている時、自分の席の左の方から、軽く風が起って、さっと自分の身体に触れるものがありましたので、思わずそちらを振向くと、神尾が、全く別な感じで、呆《あき》れ返り、且つ、驚き入らざるを得ないものがありました。

         七十五

 神尾が驚き呆れたのは、自分の左の方だけが最初から椅子が一つ空いていた。他のすべては満員になったけれども、ここだけ特に自分のためにあけて置いてあったかと思われるように残されていたそのところへ、今になって不意に人が現われて、無雑作に席に就こうとしたから、それで驚き呆れたのではなく、その人の全く思いもかけない風采《ふうさい》の人であったから度胆をぬかれたのです。神尾ほどの人だから、たいていの人間が現われたからといって面負けをするはずはないのですが、この時ばかりは呆気にとられました。
 というのは、その現われた人の風采が、全く想像も及ばなかったからのことです。つまり、そこへ今ごろ現われたのは、盛装した一個の西洋婦人でありました。
 その西洋婦人が単に西洋婦人でありさえすれば、神尾としても、これほどまでに面負けがして狼狽《ろうばい》するはずはなかったのです。西洋ホテルの食堂へ西洋婦人が現われるのは、茶室の中へ茶人が出入りするのと同じことなんです。それに現に眼の前にも、髪の赤いのと、目玉の碧《あお》いのとの一対がいるのですから、そう顛倒するには当らなかったのですが、いま現われた西洋婦人が、極めて滑《なめ》らかな日本語を使って、
「殿様、お待たせ申しました」
 これに驚かされたのです。なお、くどく言えば、その流暢《りゅうちょう》な日本語の技倆に驚かされたのではない、その言葉を操る口元と、面《かお》を見て、あっと動揺したのです。
「お絹ではないか、貴様は……」
 あの化け物めが、すっかり髪を洋式の束髪に結ってリボンをかけ、服装は上をつめて下を孔雀《くじゃく》のようにひろげた、このごろ新板《しんぱん》の錦絵に見るそのままのいでたちで、澄まし返って「殿様、お待たせ申しました」がよく出来た! こいつが! と主膳は躍起となったが、まさかなぐり[#「なぐり」に傍点]つけるわけにもゆかない。するようにさしていると、その椅子へ納まり返って、洋皿や匙《さじ》を使う手つきが、もはや相当に堂に入っている。
 この新客が席につくと、今まで会話に酣《たけな》わであった士分と、商人と、それから洋人男女と、その他の者が一時みな、お絹の洋装の方に目をつけました。ところがこの女は、一向わるびれないのみか、むしろ場慣れのした愛嬌をふりまいて会釈をすると――
「マダム・シルク、ヨク似合ウコトアリマス」
 大商人の隣席にいた赤髯《あかひげ》が、片言《かたこと》の日本語でほめました。
「有難うございます、手妻使いのようには見えませんか」
「イヤ、ソウデナイデス、立派ナ西洋貴婦人アリマス」
 こういう問答で、一座がにわかに春めいてきたが、主膳の苦々しさったらない。
 うんとお絹の横顔を睨《にら》みつけると、例の乳白色の少し萎《な》えてはいるが、魅力のある白い頬に、白粉をこってりとつけている。
「マダム・シルク、アナタ日本ノ宝デアリマス、日本ノ富デアリマス」
 赤髯が主膳の苦りきるのとは打って変って、お絹が現われてからにわかに陽気になりました。
 シルク、シルクと頻《しき》りに言うが、シルクという言葉は、さいぜん、あの士分と商人との二人の口からも出たようだ。
 シルク、シルクと、シルクが今日の座持のような売れ方だ、いったいシルクというのは何のことだ、おもシルク[#「おもシルク」に傍点]も無え! と神尾はいよいよ不機嫌で、隣りの金助改めびた[#「びた」に傍点]公に呼びかけました、
「びた[#「びた」に傍点]、シルク、シルクというが、いったいシルクとは何のことだ」
 その時、びた公が得たり賢しというような表情をして、フォークを左にさし置き、
「でげすな、シルクてえのは、只今それお話の、お白様《しらさま》の口からお出ましになって、願わくは軽羅《けいら》となって細腰《さいよう》につかん、とおいでなさるあの一件なんでげす」
「何だ、それは」
「あの蚕の口から出まする糸、それを座繰《ざぐり》にかけて繰り出しましてから、島田に結わせて、世間様へお目見得《めみえ》を致させまする、あれは通常、生糸と申しましてな」
「生糸のことを聞いてるんじゃない、シルクとは何だと聞いているのだ」
「それなんでげす、話の順序でげしてな、その生糸をすっかり繰り上げましたのが、それがすなわち絹糸なんでございます」
「そんなことは、貴様に聞かなくても大よそ心得ている」
「まあ落着いておしまいまでお聞きあそばせ、その絹糸のことを洋語で申しまするてえと、すなわちシルクてなことになるんでございます」
「なるほど、シルクとは絹の洋語か」
「左様でございます、この繰り上げた絹糸の肌ざわりというものが、とんとたまらぬそうでげして、洋人という洋人が、これに参らぬのはござんせんそうで、ことにイタラの国の絹よりも、支那出来の絹よりも、日本の絹が、世界のどこの国にも増して光輝があり、肌ざわりがよろしく、西洋人は、日本のシルクというと目が無えんでございます、日本のシルクでなければ夜も日も明けぬ、いくら高金を出しても日本のシルクを買いたい、という御執心なんでげすから、有難いもんじゃあげえせんか」
「ふーん、日本の絹がそんなにあいつらには有難《ありがて》えのか」
「有難えのなんのって、全く眼が無えんでございますが、蚕の口から出たシルクでさえ、そのくれえでげす、まして生きたシルクと来ちゃ、命もいらねえということになるのは理の当然じゃあがあせんか」
「何だそれは。生きたシルクというのがあるのか」
「有る段じゃあがあせん、つい、その目の前に……」
「何だ、目の前に生きたシルク、わからねえ、目の前に絹糸なんぞはありゃしねえ」
「殿様も頭《おつむ》が悪くていらっしゃる、それ、目の前に生きたシルクが装いをこらして、控えていらっしゃるじゃあがあせんか」
「何だ、どこに……」
「いやもう、悪い合点でございますな、神尾の殿様、つい目の前に、生きたシルクが、つまりお絹様が……」
「なあに、絹が、お絹の奴が……なるほど、絹は絹に違いない」
「ところがこっちの絹が、当時、本物のシルクより洋人の間に大持てなんでげしてな、マダム・シルクでホテルの中が、日も夜も明けない始末でげす……」
「馬鹿!」
 神尾主膳は場所柄をもわきまえず、金助あらためびた[#「びた」に傍点]公をなぐりつけようとして、危なく手元を食いとめました。その時に、左の方からお絹が口を出して、
「殿様、お食事が済みましたらば、マネージャのタウンさんに御紹介を致しますから、お会いくださいませね。それから、望楼に参って遠眼鏡をごらんくださいましね。亜米利加《アメリカ》の先まで見透しというのは嘘でございますけれど、上総房州あたりまでは、ほんとに蟻の這《は》うまで見えようというものでございます――それから、今晩はぜひ一晩、ここにお泊りなすっていらっしゃい」
「いやだ」
「そんなことをおっしゃらずに、何も見学の一つじゃございませんか、西洋のホテルの泊り心地はまた格別なものでございますよ」
「お前は、その経験があるのか」
「いやですよ、殿様、そんな大きな声をなすって……」
 そのうちに食事は済んで、食堂が閉されることになって、ぞろぞろ引上げる。神尾もそれにつづいてその席を立たなければならない段取りになりました。

         七十六

 ああして、与八の私塾はようやく盛んになって行きます。
 塾長たる与八は、自家の彫刻もやり、子弟の教育もやり、医術をも施したが、今度は偶像としてあがめらるるに立至りました。
 与八の私塾には、塾長先生の講話のほかに、近村の古老を迎えての課外講話がありました。近村の古老篤行家を迎えて、次第次第に殖えてゆく子供たちのために、無邪気なる古伝説や、或いは実験の物語などをしてもらって、衆を教育すると共に、自分も教えられるところが多くありました。無雑作な昔話にしても、土地に居つきの人そのままから、土地の音声を以て話してもらうと、古朴の味わい津々《しんしん》たるものがあって、人をよろこばせること多大なものがあるのです。
 今日の課外講師というのは、一色村の土橋くらさんというお婆さんでありました。この春、七十七のお祝いをしたという達者なお婆さんに、お孫さんの里木さんというがついて来て、与八さんの塾の子供たちに昔話をしてくれました。その話は――
 昔、相吾《さまご》の与次郎という法外鉄砲をブツことの上手なかりうど[#「かりうど」に傍点]があった。
 その近所に大猿が現われ、畑を荒したり、鶏をさらったり、ひどいワルサをして困った。
 それから村中総出で、近辺の山の中を残らず狩り出したが、猿のさ[#「さ」に傍点]の字も見えず、ただ山奥でチラリと見たという者は二三人あったが、その誰も彼も、その猿の手は真白だったと言うので、いつとはなしにその猿を「手白猿《てじろざる》」と呼ぶようになった。
 手白猿のワルサは日に増し劇《はげ》しくなって行くばかりなので、領主の殿様も大へん腹を立て、
「あれしきのものが撃ち取れぬとあっては俺の恥だ、ぜひとも捕まえて来《こ》う」
と、家来を呼んで厳しく言いつけた。
 家来たちは困り果てて、いろいろの評議の末、御領内を方々探したところ、与次郎の話を聞いて、
「これこれの法外上手な狩人《かりうど》があるから、猿はこれに撃たしたらようございましょう」
と殿様に申し上げた。すると殿様も、
「それじゃあ早速、その者を呼び出せ」
ということで、与次郎は殿様の前へ呼ばれた。殿様は、
「これ与次郎、手白猿はどうでも貴公が撃ち取ってくりょ、そうしれば褒美《ほうび》はなにほどでもやる」
と言った。与次郎は、
「けんど殿様、あんないの大猿は、とてもわ
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