ればならない、そういう場合に、産むということも、生れるということも、そんなに目出度いことなんでしょうか。それから、人がたくさんに子を産んで、この世に人間が殖えて行くことが、果して世間のためにも、人間のためにも、幸福なことなんでしょうか。世間には、産まない方が慈悲であったり、生れない方が幸いであったりする人はないでしょうか。人間というものは、どうしても、結婚して、子を産まなければならないはずのものなんでしょうか」
「そこだ!」
と道庵が、また何かに感奮して、盃を下に置くと共に、掌で丁と額を叩きました。
五十五
「そこだ!」
と道庵先生が、何かに昂奮して盃を下に置くと共に、掌で丁と額を叩いたが、やがて、仔細らしく物おだやかに、お雪ちゃんに向って語り出しましたのは、
「わしも御承知の通り、医者ですから、人助けが商売みたようなわけなんでしょう、人の見放した難病を癒《いや》したり、死んだ者までも生き返らせたりするのが商売のようなもんだが、どうかすると、つくづく考えることがあるね、こんな野郎や、こんな阿魔ッ子を、生かして置いたって仕方がねえじゃねえか、こんな奴は一思いに眠らしちまった方が功徳じゃねえかと、そう思うことが無きにしもあらずなんでげす、正直のところ……」
そうすると、お雪ちゃんが、
「先生、お医者さんが、そんな情けない心になっちゃ困るじゃありませんか。ですけれども先生、口と心とは別なんでしょう」
「なあに、口と心とは別じゃねえんだが、心と手とが別になるんだね――心のうちじゃあ正直のところ、こんな奴は眠らしちまった方が、御当人も助かるし、世の中にも一匹の穀《ごく》つぶしが存在しなくなるという効能になるんだが、どうも、その場に至ってみると手が承知しねえんでね、この手が……」
道庵は、その変にひねくれた長っぽそい手をつき出して、お雪ちゃんに見せました。
「この手が、どうも、ついどうも、未練たっぷりでね、殺そうと思っちゃ、つい生かしちまうんでね。今日まで、ずいぶんよけいな殺生《せっしょう》、じゃねえ、よけいな人を生かしてしまったね。ロクでもねえ奴は殺しちまえば、お前《めえ》、今も言う通り、それだけこの世の穀つぶしが減るわけなんだね。まあ、一人の野郎が、仮りに一日に五合ずつの米を食うとしてからが、月に一斗五升、年にならすと一石八斗、まあざっと四俵半、数が悪いから一人五俵として積ってみなせえ、千人殺せば年に五千俵の米が浮く。五千俵の米がお前、価《ね》に踏んでいくらになると思う、近年のように米価の変動が烈しくっちゃあ、勘定をしても間《ま》に合わねえが、かりに一俵一両としても五千両、二両とすれば一万両という勘定になる。それをお前、こちとらのような貧乏人となると小買いだから、グッと割が高くつくんだぜ、ことにこれから拙者共が出向いて行こうという京阪地方なんぞと来ては、物価が目玉の飛び出すほど高くなっているという知らせを聞いているから、拙者も実は青くなっているところなんだよ。なんでも近ごろは京阪での白米の一升買いが一貫二十四文ということだから、貧乏人は大抵こたえらあな。それに準じてお前、人間は米ばかり食って生きていられるというわけのものじゃあねえ、お副食物《かず》も食わなけりゃならず――この方も一杯やらなけりゃあならず」
と言って、道庵が膝元に置いた盃を取り上げようとしたが、手元が狂って、盃が転がり出してしまって、ちょっと当りがつかなかったものですから、とりあえず、手真似《てまね》で一ぱいやるしぐさ[#「しぐさ」に傍点]をして見せたのが、真に迫りました。
「それからお湯に入らなけりゃあならず、年に二度や三度はお仕着《しきせ》もやらなけりゃならず、それからまた時たまは、芝居、活動の一ぺんも見せてやらざあならず(註、ここに道庵が活動といったのは、例の脱線であろうと思われる、その当時はまだ世界のいずれにも活動写真というものの発明は無かったのである)ちょっと髪を結うにしても、八十八文取られるということだし、湯銭が二十文の、糠代《ぬかだい》が十二文と聞いちゃ、これから京大阪へ乗込もうという道庵も、たいてい心胆が寒くなるわな。食い雑用をさし引いて、人間一匹を生かして置く費《つい》えというものは生やさしいものじゃねえんだ。よく世間の奴等あ、食えねえ食えねえと言って、貧乏をすると一から十まで米のせい[#「せい」に傍点]にして、高いの安いのと文句を言うが、米の野郎こそいい面《つら》の皮さ、何も米ばかりが食い物じゃねえんだ、ばかにするな!」
ここでまた道庵の脱線ぶりが、米友かぶれがしてきました。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
とお雪ちゃんがまた笑って、それにつぎ足して言いますには、
「それは、先生、費えの方ばかり考えますと、そうかも知れませんが、その人がみんな遊んで食べているわけじゃありますまい、それぞれ稼《かせ》ぎをして、食べて行くんですから、そう憎んじゃかわいそうですね」
「ところが、なかなか、稼ぎをして食って行くなんていう筋のいいのばかりはねえんでね、食っちゃあ遊んでいるのはまだいいがね、どうかして人の稼ぎためを食いつぶして、自分は楽をして生きて行きてえという奴がうんといるんだから、そんなのは、いいかげんに眠らしちまった方がいいんだが、さて、今いう通り実際となると、なかなか、この手が言うことを聞かねえんでな、ついつい、無慈悲な、人生《ひとい》かしをしちまうんだ、人殺しも感心しねえが、人生かしという商売も、これでなかなか辛《つら》いよ」
「ですけれど、先生、そう一概に悪い人ばかりあるわけではござんすまい、こういう人を助けて置けば、国のためにもなり、人のためにもなる、こういう方はぜひ助けて置かなければならないと、お考えになることもあるでございましょう」
「無《ね》えね――」
道庵先生が言下に首を横に振ってしまったものですから、お雪ちゃんも、あんまり膠《にべ》のないのに少々|狼狽《ろうばい》気味でした。そこを道庵が一杯ひっかけながら、
「こいつは生かして置いてやりてえ、こいつは生かして置かなけりゃならねえ、なんぞと惚《ほ》れこんだ奴は、今までに一人もお目にかからなかったのさ、生かしてみて、まあ、どうやら我慢ができるという奴は一人や半分はあったね――今いう、お前《めえ》、あの米友公なんぞも、その中の一人に数えていいんだが、おりゃまだ、はなから、こいつを生かして置いて、可愛がってやろうなんていう奴には一人も出くわさねえのさ。脈を見たり、薬を盛ったりしてやる時に、腹ん中じゃ、こう思ってんだね、手前《てめえ》たちゃ、道庵ほどの者にこうして脈を取らせたり、安くねえ薬を調合させたり、お手数をかけて、そうして生きていてもらわなけりゃならねえほどの代物《しろもの》じゃねえんだが、道庵もそれ、商売となってみれば、こうしてやらなけりゃ食って行けねえ、今いう通り、食って行くだけじゃ生き甲斐がねえ、食っての上に生き甲斐をもあらせようとするには、それ、一杯も飲まなくっちゃあやりきれたものでねえ、そこで、商売上やむことを得ずしてお前たちを助けようてんだ、あんまり大面《おおづら》をするなよ、と内心こう思って脈を取ったり、薬を盛ったりしているんですよ、正直のところ」
「では先生、禅学のお方がよくおっしゃる、仏心鬼手なんておっしゃいますけれど、先生のは、それと違って鬼心仏手なんですね」
「違えねえ――」
と道庵がまた、額を丁と打ちました。
五十六
「違えねえ、愚老なんぞは、その鬼心仏手というやつで、心にもねえ人生かしをして来てるんだが、日蓮上人も言ってらあな、身は人身に似て実は畜身なり――」
御遺文集のどこから、そんな文句を引っぱり出したのか知れないが、ここで道庵先生が、日蓮上人を引合いに出して来まして、
「だがな、人生かしばっかりして来ているというわけじゃねえんだ、ずいぶん人殺しもやってらあな――およそこの道庵の手にかかって、今日までに命を取られた奴が……」
ここで道庵十八番の啖呵《たんか》を切り出しました。知っている者はまたかと思うでしょうが、それを知らないお雪ちゃんは、初耳のつもりで、ついついそのたんか[#「たんか」に傍点]を聞かされてしまわなければなりません。
「およそこの道庵の手にかかっては、まず助かりっこは無《ね》え、今日までに、ざっと積っても、道庵の手にかかって命を落した奴が二千人は動かねえところだ、当時、この物騒な時代に、人を斬ることにかけては武蔵の国に近藤勇、薩州に中村半次郎、肥後の熊本に川上|彦斎《げんさい》、土佐の高知に岡田以蔵――ここらあたりは名だたる腕っこきだが、道庵に向っちゃあ甘いものさ――およそ、道庵の匙《さじ》にかかって助かる奴は一人も無え、たまに助かる奴なんざあ、まぐれ当りなんだよ」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
お雪ちゃんだけは興を催して、道庵先生のために笑ってやりました。
右のような自慢は、道庵としては、もう犬も食わない自慢なんですが、お雪ちゃんにとっては新しいのです。そこで、お雪ちゃんの心持を喜ばせたと見ると忽《たちま》ち、道庵が附けのぼせがしてしまいました。ここで、また一つ受けさせてやろうという気になったのがいけません――そうして物々しく、
「ね、お雪ちゃん、本当でしょう、道庵の言うところは欺かざるものがあるでしょう。でね、こういう話もあるんだからひとつ聞いて置いていただきてえ、自慢じゃあねえが、道庵そのものの生地《きじ》を見ていただくためには、恥を話さなけりゃあわからねえ――道庵のお得意先に、ちょうどまあ、年かっこうも、お雪ちゃん、あなたぐらいの、そうして、あなたと同じような愛想のある別嬪《べっぴん》さんなんだがね……」
「わたし、別嬪さんなんかではありゃしませんわ」
「どうしてどうして、なかなか隅には置けねえね。ところがそのお雪ちゃん同様の、道庵お得意先の別嬪さんが、ふと病にかかって、ぜひとも道庵先生に診《み》ていただきてえ――そう言われると、こっちも男の意地でいやとは言えねえ、相手が別嬪だからって、後へ引くようなことじゃ年甲斐《としげえ》もねえ――」
と言って、一力《ひとりき》み道庵が力みますと、お雪ちゃんがまた、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と笑いました。相手が別嬪だから、後へ引くようでは年甲斐もない――というのは、やっぱり理窟に合わないところがあるのです。それをお雪ちゃんが少し笑ったのでしょう。そういうふうにお雪ちゃんの調子がいいものですから、道庵もいよいよ附け上って、
「そこで、一通りそのお嬢さんの脈を診《み》て上げて帰りに、先生一杯なんて、よけいなことをその家の両親共がすすめるもんだから、ついいい気持になっちまって、それから牛込の改代町まで来ると、出逢頭に子供を一人、蹴飛ばしちまったんだね。ところが、その子供の親父《おやじ》が怒ること、怒ること、むきになって怒るから、こっちも相手が悪いと思って、平あやまりにあやまったが、先方がどうしてもきかねえ。わしも困っていると、いいあんばいに仲裁が出ました。その仲裁人が、子供の親父をなだめて言うことには、お父さん、足で蹴られたぐらいは辛抱しな、この人の手にかかってみたがよい、生きた者は一人もない――だってさ。そこでおやじも、おぞけをふるって逃げて行った姿がおかしかったよ」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
お雪ちゃんがまた笑いこけました。しかし、これもお雪ちゃんとしては、笑いこけるほどの新し味があったかも知れないが、実は古いものなので、安永版の初登りあたりにあるのを、道庵が、単にお雪ちゃんを一時《いっとき》喜ばしたいがために焼き直した形跡がありありです。本来、こういうつまらない技巧は、道庵先生のために取らないところなんだが、お雪ちゃんの御機嫌に供えるために、ちょっと取寄せてみたに過ぎないでしょう。
素直なお雪ちゃんは、そういう焼直しや、お座なりをあてがわれても、道庵のために快く笑ってやりましたが、
「先生、あなたは御自分の棚卸しばかりしていらっしゃるけれども、本当の値うち
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