あとのところはもう一切心置きなしと信じていたのでしょう。自分が案内をして傍についていて、どうのこうのと言うよりは、道庵そのものを一かたまり抓《つま》み込んで置きさえすれば、それで病人に対しての万事は足りている。死ぬべきものでも、この人が生かしてくれる。いや、すでに死んでしまった自分をさえ、この先生は生かし返らせてくれているのだ。
そこで米友は、道庵を突き飛ばして置きさえすれば絶対信任を置き得るが故に、全く後顧の憂い無くして外の闇へと身を躍らして飛び出し得たものであります。
外の闇というのは、御承知の通り、暁の部分に属するところの胆吹《いぶき》の山麓でありました。
けれども、その闇であることは、前に遊魂のさまよい出でた時の光景と同じことでありましたが、黒漆《こくしつ》の崑崙夜裡《こんろんやり》に走るということの如く、宇治山田の米友が外へ飛び出すと、外の闇が早くもこの小男を呑んで、行方のほどは全くわからなくなりました。
あいにくにもこの際、この男に向っては、セント・エルモス・ファイアーというようなものも飛びつかず、ファイアーの方でも、うっかり飛びつかない方が無事だと思ったものでしょう、絶えて異象を現わすことはなかったのですから、この黒漆崑崙が、何も目的あって、いずれに向って飛び出したのだか、一向わかりませんでした。
お雪ちゃんの部屋まで抓み飛ばされた道庵のことは暫く問わず、この闇がようやく消え去って、東方が白み渡った時分になっても、竜之助も帰らず、米友も立戻って来なかったことは事実であります。夜が全く明け放れましたけれど、ついに二人はこの館《やかた》へは戻って来ませんでした。
しかし、朝の相当の時間になると、意外にもお雪ちゃんが起きて、窓の下の流しでしずかに水仕事をしているのを見ました。平常よりは蒼《あお》い面《かお》をして、全く病み上りの色でしたけれど、それでも立って流しもとで静かに水仕事をしている。それだけの元気があることによって、あの時の危急はけろりとしてしまっていることもわかり、それが米友の介抱の力もあり、道庵の医術のほどもありましたでしょうけれども、本来が何か突発的の急性のもので、事態の恐ろしかったほど、本質の危険なものでなかったことがわかるとすれば、とにかく一安心というものです。
道庵は――と見れば、一方の枕屏風の中――つまり昨夜、遊魂がそこからぬけ出した後の寝床にもぐり込んで、すやすやと寝息を揚げておりました。事実上これでは逆で、米友がいない限り、病人を寝かせて置いて、道庵が看護を兼ね、仕儀によっては流し元までも立廻らなければならない状態が逆で、病人を働かせて、自分がすやすやと寝息を揚げるということは、あまりのことなのですが、また、取りようによれば、こうして病人がともかくも働けるようになり、お医者さんがすやすやと寝られるようになったればこそ、もう占めたものなので、これがまた逆に戻って、道庵が水瓶をひっくり返したり、鉄瓶を蹴飛ばさなければならないようになっては、おしまいです。
自在に鍋をかけて、何か朝の仕度をしながら、お雪ちゃんはやつれた面に乱れた髪を少しかき上げて、火箸《ひばし》で暫く火いじりしながら、物を考え込んでおりました。そこへ、
「お早うございます」
と表からおとのうたのは、意外のようで意外ではない人でした。
「これは不破の関守さん」
「昨晩は失礼をいたしました」
「どうもおかまい申しませんで」
「友さんは――」
「ちょっと今、出かけましたのですが、もう戻りそうなものです」
「お雪ちゃん、あなた、少しお面の色が悪いようですな」
「昨晩、ちょっとね……」
「どうか致しましたか」
「ちょっと加減が悪かったものですから」
「それはいけません、お薬がございますか」
「はい、お薬もございます、幸い……」
と言ってお雪ちゃんは、お薬の次に、幸いお医者さんも――と言おうとして、急にさし控えて、
「おかげさまで、もうすっかり癒《なお》りましたから、御安心下さいまし」
「それは何よりでございます」
不破の関守氏は、そろそろと炉辺へ近寄って来て、腰をかけ、煙管《きせる》を掻《か》き出しながら心安げに話をしました――
「昨晩は、それでもまあ無事でよろしうございましたな」
こちらは、あんまり無事でもなかったのですが、関守氏の言うことをあげつらうのも、と思ってお雪ちゃんは、
「はい、おかげさまで……」
「実は、ここまで押寄せて来はしまいかと、拙者はそれを心配したものでございますからな、ロクロク寝《やす》みませんでした。それでも幸いに春照の高番あたりで、ちょっとしたボヤがあっただけで、無事に済んだのが何よりでございました」
関守氏の、無事でよかった、無事でよかったということが、お雪ちゃんにはよく受取れないのです。昨晩、長浜方面から帰りがけだと言って立寄った時に、関守氏が何か言ったようだけれど、いろいろに気の散っているお雪ちゃんには、それが思い出されないでいると、関守氏は続けて、
「しかし、まだ今晩が剣呑《けんのん》でござんすからな、友造君によくそのことを話して置いて、相成るべくは早く戸を締めて、そうして燈火《あかり》も外へ漏れないようにすることですな」
さまで念を入れての警戒が、お雪ちゃんによく呑込めないでいたが、ようようそれと感づいたか、
「関守さん、もう大丈夫でございますよ、友さんの親切で、子供を連れて行ってしまったんですもの、そうしつこく[#「しつこく」に傍点]仕返しになんぞ来はしないとわたしは思いますわ」
「何のことです、お雪ちゃん」
「関守さん、あなた何のことをおっしゃっていらっしゃるのですか」
「何のことじゃありません、昨晩もちょっとお話ししたじゃありませんか、湖岸一帯のあの一揆《いっき》暴動のおそれなんですよ」
「まあ、そのことでございましたか、わたしはまた、あの鷲《わし》の子のことかと思いました」
「いや、そんなんじゃありません、鳥獣《とりけもの》の沙汰《さた》じゃないのでごわす、人類が食うか食わぬかの問題でして……」
そこで、お雪ちゃんにも、関守氏が関心を置くことの仔細がよく呑込めました。
四十九
「まあ、お聞きなさい、お雪ちゃん、こういうわけなんです、事の起りと、それから騒動の及ぼすところの影響は……」
と前置きして、関守氏がこんなことを語り聞かせました、
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものなんです、京都の町奉行からお達しがあって――すべての村々に於て、この際|如何《いか》ような願いの筋があろうとも聞き届けること罷《まか》り成らぬ、というお達しがあって、村々からそのお請書《うけしょ》を出させて置いての勘定役御出張なのです。そこで老中|派遣《はけん》の勘定役が、両代官を従えて出張してまいりましてな、郡村に亘《わた》って検地丈量の尺を入れたのでござるが、もとよりお上《かみ》のなさることだから、人民共に於て否《いな》やのあろうはずはないのでござるが、そのお上のなさるというのが、必ずしも一から十まで公平無私とのみは申されませんでな」
関守氏は煙管を炉辺でハタハタとはたいて、吸殻を転がし落してから、吸口をスバスバとつけてみて、
「つまるところ、わいろ[#「わいろ」に傍点]なんですね。当節は到るところ、それなんだからいけませんなあ、わいろ[#「わいろ」に傍点]でもってすっかり手心が変るんですからいけません、いったい役人がわいろ[#「わいろ」に傍点]を取って、公平を失するということほど政治上いけないことはありませんね。百姓共は圧制に慣れているから一時は泣寝入りのようなものの、いつかそれが溢れると恐ろしいことになります。今度の騒ぎも、そもそもその江戸御老中派遣の勘定方が、わいろ[#「わいろ」に傍点]によって検地に甚《はなはだ》しい手心を試みた、それが勃発のもとなんで、早い話が……」
関守氏が元来、話好きなのに、お雪ちゃんという子が聞き上手とでも言おうか、相当に理解がある上に、知識慾も盛んで、あれからホンの僅かの間の交際ではあるけれども、関守氏は、お雪ちゃんを話相手とすることが好きなので、暇を見ては話しに来ることを楽しみにしているようなあんばいで、お雪ちゃんもまた、この人が話好きであるのみならず、よく物事の情理を心得ていることを知っているから、悪くはもてなさないので、つい話もはずんで行くのでした。そうして、その話すところをかいつまんでみると、次のようなことになるのです――
江戸老中派遣のわいろ[#「わいろ」に傍点]を取る役人が来て、思う存分に間竿《けんざお》を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚《はなはだ》しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと見くびって、烈しい竿入れをしたものだから領民が恨むこと、恨むこと。そこで、これはたまらぬと庄屋連が寄合って、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ[#「わいろ」に傍点]役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願まかりならぬという請書を取ってある。しかし領民たちになってみると、死活の瀬戸際だから黙止してはいられない。その鬱憤が積りつもると、大雨で水嵩《みずかさ》が増して行くように、緩慢に似てようやく強大である。どこの村からどう起ったということは今わからないけれど、近江の四周の山水が湖水へ向いて集まるように、湖岸一帯の人民の不平が、ある地点へ向って流れ落ち、溢れて来る。たとえば、野洲《やせ》郡と甲賀郡の嘆願組が合流して水口《みなくち》に廻ろうとすると、栗田郡の庄屋が戸田村へ出揃って来る。勘定役人が甲の川沿いから乙の川沿いに行こうとすると、丙の郡の農民が結束して集まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて権田川原に屯《たむろ》し、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破竹の勢いで東海道を西上し石部の駅に達したが、膳所《ぜぜ》藩の警固隊を突破し三上村に殺到、ここで他の諸郡の勢いと合し、無慮二万人に及んで三上藩に押し寄せるという勢力になった。
幕府の勘定方の役人は、そのとき三上藩にいたが、藩の役人が怖れて急ぎ避難をなさるようにと勧《すす》めたが、剛情な幕府勘定方役人はそれを聞き入れない。ついに群衆は陣屋へ殺到して、勘定方役向を取囲んで口々に歎願を叫んでいる。幕府勘定方役人の生命《いのち》も刻々危急に瀕《ひん》している――
というような情状を、関守氏が自分で集めて来たのと、風聞に聞いたのとを差加えて、お雪ちゃんに説明して話の興がようやく酣《たけな》わになるところへ、そろりそろりと音がして、その場へぬっと道庵先生が寝ぼけ眼《まなこ》で現われて来ました。
それを見ると関守氏も、一時は呆気《あっけ》にとられましたが、お雪ちゃんも、少しきまりが悪い思いをしながら、
「あの、関守さん、この先生は、米友さんの御主人でございまして、お江戸から上方《かみがた》への御旅中なのですが、昨晩、米友さんがお連れ申しました」
「は、さようでござるか、それはそれは」
「わっしぁ、道庵でげす、なにぶんよろしく」
道庵先生が、すっかりすまして、まだ面《かお》も洗わないのに炉辺へ納まり込んでしまいました。
ここで、関守氏と道庵先生に話をさせたら、また一市《ひといち》栄えるだろうと思われたが、そこはおたがいにまだ生面《せいめん》のことではあり、さすが話好きの関守氏も、これを機会に御輿《みこし》を上げて立帰ることになると、お雪ちゃんが、
「では、関守さん、またおひまを見ていらっして下さいまし」
とお雪ちゃんは、余情を残しただけで、強《し》いて関守氏を引きとめようとはしませんでした。
「では、さようなら」
関守氏は入って来たトンボ口の方から出て行ったが、暫くして南表広庭の方へ廻ったと見えて、そこで誰を相手にともなく、こんなことを言い出したのがよく聞えました、
「弁信さんにも困ったものでねえ、この騒ぎの中を出かけましたよ、竹生島
前へ
次へ
全44ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング