憎らしいお方、もうすっかり種が上っていますから隠したってだめよ」
「そちらに種が上っているのなら、なにも改めて拙者にたずねるには及ぶまい――どれ」
兵馬は苛立《いらだ》って、もう、こうなる上は、手ごめにしても刀を奪い取って差して帰るまでのことだ――と立ちかけた時、
「ア、痛ッ!」
と不覚の叫びを立てたのは、相手の女ではなくてかえって自分でした。
「憎らしい!」
女は今まで両の袂で後生大事に抱きかかえこんでいた兵馬の両刀を、左の片袖だけで抑え換えて、そうして、右の片手をのべると、いきなり、苛立って立ちかけていた兵馬の左の股《もも》のところを――イヤというほど――つねりました。武術鍛錬の兵馬が、もろくもこの不意打ちを食って、「ア、痛ッ!」「憎らしい!」
今晩のこの女は、憎らしい! と、口惜《くや》しい! との連発です。
思うさま不意打ちを食わして、兵馬を痛がらせた福松は、ここで、やや勝ち誇った気位を取り返し、
「それ、ごらんなさい」
何がそれごらんなさいだか、兵馬には一向わからないのを、福松どのは畳みかけて、
「痛かったでしょう――わが身をつねって人の痛さというのがそれなんですか
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