がすことではありません、少しは、わたしの身にもなって考えてごらん下さいましな」
 兵馬は長火鉢のこちらで、いかんとも致しようがなく、福松の振舞をながめているばかりです。
「わかっておりますよ、あなたもこの高山の土地を離れようという思召《おぼしめ》しで、それとなく御挨拶においでになったのでしょう、思召しは有難うございますけれど、わたしの身にもなって……ごらん……下さいましな」
 斯様《かよう》な手は、斯様な女にはよくありがちの手でありますけれども、ありがちの手にしてからが、今日のは、この女の用い方に、少し当りが違い過ぎ、薬が強過ぎるようなところがあります。
 涙を惜しげもなく、ほろほろとこぼして泣きわめきながら、武士の腰のもの二つを鋸《のこ》で引いても放さないような意気込みで、しっかりと抱え込んで、
「ほんとうに……わたしの……わたしの身にもなってごらん下さいましな」
と、ここで、また繰返言《くりかえしごと》を言うて泣きじゃくりながら、
「新お代官の御前《ごぜん》があんなことになったのは、わたしから見れば、自業自得ですわ、大きな声じゃ言われませんけれど、いい気味ですわ、あんな奴、ああなる
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