に志願したり、強制したりする必要のない如く、当番がめぐり来《きた》れば、甘んじて奉仕しなければならないはずになっているのです。
 それをこの兵作は、自分に限って無理押しつけにでも押しつけられたもののように、不本意たっぷりの言い分ですから、お銀様は、そこにまた相当の事情がなければならないと思い、
「お前さん、亡くなった人を葬るために働くのは村の人のつとめの一つであり、またそのために精出して働くことが、亡くなった人の供養にもなるじゃありませんか、後生《ごしょう》の心持でおやりなさい」
 お銀様はこう言って、たしなめるような、励ますようなことを言いますと、兵作が、
「ところが奥様、今度の穴掘りに限って、村の人がみんないやが[#「いやが」に傍点]るんでございます。イヤが[#「イヤが」に傍点]るだけじゃございません、たれも穴を掘ってやり手がねえんでございます――といって、犬に食わせるわけにもいきませんから、兵作お前やってくれと言って、名主からわしに名指しで頼まれたんでございますがね、名主様のおっしゃることなら、兵作貴様これをやれ、と御命令でもやらなけりゃならねえですが、名主様から頼むように、わっしの名指しでおっしゃられてみると、どうにもこうにも、お引受けしねえわけにゃいきませんからなあ、で、まあ、私がこうやって一人で掘りはじめてみると、いいあんばいに一人、手助けが出来ましてね」
「そうなのですか、そんなにまで村の人から嫌われているお墓の主は、どういう人なのですか」
「つまり、人間の仲間|外《はず》れですねえ、悪いことをした酬《むく》いなんだから、どうにも、やむを得ねえでございます」
「何をそんなに悪いことをしたのです、たいていの罪があっても、死ねば帳消しになるじゃないの」
「左様でございます、死んでしまえば、てえげえの罪は帳消しになるんでございますが、今度のはただ眼をつむったということだけで帳消しになるには、あんまり重過ぎました」
「いったい、何の罪なのです」
「第一、姦通《まおとこ》でございます」
「姦通――」
「はい、それから、横領でございます」
「横領――」
「それからもう一つ、人殺し」
「まあ――」
「人殺しといっても、只の人殺しじゃございません」
「どういう人殺しですか」
「主人殺しでございます」
「え――」
「それから、夫殺しでございます」
「え――」
「そういう重い罪人でございますから、磔刑《はりつけ》にかけられましたが、その死骸を引取り手もございませんし、まして、葬ってやろうなんぞという人は一人もございませんので……」
「まあ、一人でそんなに重い罪を幾つも犯したのですか」
「いいえ、一人じゃございません、二人でやりました、姦通同士の男女《ふたり》がやりました。ごらんなさいまし、あの通り、もう一つの穴を、わっしの手助けに来た人がああして、せっせとあすこで掘っています」
「おおおお」
 その人は、もうかなり深く穴を掘り下げているものですから、ほとんど今まで、お銀様の感覚に触れないほどの物静かさでありましたが、そう言われて見ると、なるほど――全身は早や穴の中に隠れながら、もくもくと土だけを上へほうり上げている動作がよくわかります。
「わしは、その男の奴の方をこうして掘っていますだが、手助けの人は、ああして女の奴の方を掘っているんでございますが、男の方よりも、女の方のが、ずんと罪が深いのでございますよ」

         六十四

 それを聞くとお銀様が、その場を動けなくなりました。何ということなしに立ちつくしてしまいました。前路の目的も忘れてしまい、後顧の考えもなくなって、墓穴の中を見込んで、じっと突立ったままでした。
「穴掘り」の兵作は、これでお銀様への御挨拶は済んだという気持で、再び穴の中へ下りて頬かむりを仕直すと共に、カチカチと鍬の音を立てはじめました。
 お銀様は、じっと立って、その穴を見つめたままです。多少の時がうつります。日中ならば時のうつり方も緩慢に見えますけれども、黄昏時《たそがれどき》であっては、急速の移り方で、みるみる暗いもやがいっぱいに立てこめて、暮の領域はみるみる夜の色に征服されて行くのが烈しいのです。
 四方《あたり》が全く暮れてしまったと言ってもよいのですが、お銀様はまだその地点を動きません。穴掘りも、ようやく深く掘り下げて行くほどに、姿は陥没して行くけれども、鍬《くわ》の音だけは相変らずカチリカチリ、陰惨なうちにも迫らない動作を伝えていますが、この方はこれでよいとして、今し掘られつつある墓穴は、この一つだけではありませんでした。
 それよりもなおいっそう罪深き一方を葬るためと言われた他の一つも、同様以上に掘下げ工作が進捗《しんちょく》しているはずなのですが、この方は最初から、うんだともつぶれたと
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