来たのは、五六頭だての駄賃馬でありました。
 先頭に紙幟《かみのぼり》を押立て、一頭に二つずつ、大きな樽《たる》をくっつけて都合六駄ばかり――それを馬子と附添がついて米友の前へ通りかかりましたのを見かけて、米友が、
「胆吹山の京極御殿の方へ行くには、この橋を渡って行っても行けるだろうねえ」
 米友がたずねても、この不思議な駄賃馬の一行は、つんとすまして返答もせずに――気取り込んですまして行く。
 へんな奴だな、唖《おし》の行列じゃあるめえか。米友が不審がって、過ぎ行く駄馬の一行を後から見送ると、真先に立った駄賃馬の背に立てられた紙幟の文字が明らかに読めるようになりました。
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「書きおろし、大根《だいこ》おろし
十三樽――
らっきょう一樽――
きゃあぞう親分へ」
[#ここで字下げ終わり]
 こうも読まれるが、何のことだか米友にはわからない。

         六

 飛騨《ひだ》の高山の芸妓《げいしゃ》、和泉屋の福松は、宇津木兵馬の両刀を、しっかりと両袖で抱えこんで、泣きながらこう言いました、
「いや、いや、いやでございます、あなたばっかりは逃げようとなすっても逃がすことではありません、少しは、わたしの身にもなって考えてごらん下さいましな」
 兵馬は長火鉢のこちらで、いかんとも致しようがなく、福松の振舞をながめているばかりです。
「わかっておりますよ、あなたもこの高山の土地を離れようという思召《おぼしめ》しで、それとなく御挨拶においでになったのでしょう、思召しは有難うございますけれど、わたしの身にもなって……ごらん……下さいましな」
 斯様《かよう》な手は、斯様な女にはよくありがちの手でありますけれども、ありがちの手にしてからが、今日のは、この女の用い方に、少し当りが違い過ぎ、薬が強過ぎるようなところがあります。
 涙を惜しげもなく、ほろほろとこぼして泣きわめきながら、武士の腰のもの二つを鋸《のこ》で引いても放さないような意気込みで、しっかりと抱え込んで、
「ほんとうに……わたしの……わたしの身にもなってごらん下さいましな」
と、ここで、また繰返言《くりかえしごと》を言うて泣きじゃくりながら、
「新お代官の御前《ごぜん》があんなことになったのは、わたしから見れば、自業自得ですわ、大きな声じゃ言われませんけれど、いい気味ですわ、あんな奴、ああなるのがいい見せしめで、内心、溜飲《りゅういん》が下るように思ったのは、わたしばかりじゃございますまい――ですけれども、あの飛ばっちりを浴びたものの身になってごらんなさいまし、やりきれたものじゃありません、その中でもこのわたしなんぞは……」
 ここでまた泣落し。それは、ちょっと文字ではうつし難い。歔欷流涕《きょきりゅうてい》という文字だけでも名状し難いすすり泣きと昂奮とで、
「お役所へお呼出しを食ったり、お茶屋さんでお取調べを受けたり――何か、わたし風情《ふぜい》が、あの一件に黒ん坊でもつとめているかなんぞのように、痛くない腹を探られるので、全くやりきれません――それはお代官の御前の有難い思召しを承るには承りましたけれども、あんまり有難過ぎますから、御免|蒙《こうむ》っちまったばっかりなんでしょう――あの一件についちゃあ何も知らないわ。全く知らないものを、朝から晩まで根掘り葉掘りお取調べをうけて、まだ、なかなか御用済みにならないばっかりじゃなく、かんじんの、わたしよりも一件に近い人はみんな姿を隠してしまったものですから、わたしだけが、人身御供《ひとみごくう》のようになって動きが取れないじゃありませんか。そんなわけで――そんなわけですからお客様も、けんのんがって、お座敷もめっきり減ってしまいました。それは災難と思って諦《あきら》めましょうけれど……」
 ここで、福松が思い迫って、おいおいと手ばなしで泣きました。無論、両袖でしっかりと宇津木兵馬の双刀を抱え込んでいる以上は、手ばなしでなければ泣けないわけなんですが、それにしても、あんまりあけすけな泣き方で、かえって興がさめるほどです。興がさめるほど露骨に泣いているのですから、それだけまた、思わせぶりのたっぷりな、手れん手くだというようなものが少ない。つまり、その泣き方は、芸者や遊女としての泣き方ではなく、子供の駄々をこねる泣きっぷりと同じようなものでした。色気のない泣き方であるだけ、それだけ、兵馬をしていよいよ迷惑がらせていると、
「あなたまでが、わたしを袖にして、寄りついても下さらないことが悲しうございます、寄りついて下さらないばっかりか、あなたまでがわたしを置去りにして逃げてしまおうとなさる、あんまり薄情な、あんまり御卑怯な、あんまり情けなくて、わたしは……」
と福松が、また、わあっわあっとばかりに泣き落しました。兵馬も
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