の村で使用し、夕方の何時からは乙の村へ放流するというようなことにでも、相談ずくでやってみちゃどうだ――いくら君たちが竹槍蓆旗《ちくそうせっき》で騒いでみたところで、この水量が一滴でも増加すべき筋合いのものではない。そこで双方委員を選んで、おたがいに歩み合いをいたし、相当限度まで辛抱すべきところは辛抱するという手段を執るのが賢い。そうして、その余力を以て、両方の村々が仲よく相一致して、雨乞踊《あまごいおど》りでも催して、天に祈り、人を喜ばしてみちゃどうだ、そのうちには何か効験がないということもあるまい」
 右のような理解を説いて聞かせているとする、そうすると両岸のいきり立った、逸《はや》り男《お》もそれに感化されて、
「なるほど、旦那のおっしゃることは尤《もっと》もだ、お天道様が雨をふらせて下さらねえからといって、人間が血を流すのは、よくねえことだ、なんとか総代を選んで談合がぶてるものなら、そりゃはあ、談合をぶつに越したこたあねえ」
 というような空気に傾いたらしい。そこを右のさむらいが、
「では、ともかく総代は君たちの方でおのおの五人なり十人なり、適当に選挙し給え、仲裁役は不肖ながら拙者に任せてもらえまいか」
という段取りになって、異議なし異議なしでそれから浪人姿のさむらいが、堤上をこなたの岸に向ってそろそろ歩み出す。それを囲んで、双方の委員候補者たちと見えるのが、ゾロゾロとついて来る。後ろにつづく後陣の大勢も、こうなってみると殺気は解けたが、そうかと言って、このまますんなりと解散する気にはなれない。簡単に追いかえすわけにはなおさらゆかない。そこで、さむらいを中心に、立てた委員総代候補者連のあとをくっついて、この大多数がゾロゾロと行くところまでは行こうという形勢になりました。
 その形勢で見ると、今までは火花を散らそうとした二つの勢力が一つに合流はしたけれども、さてまた、この合流した勢いのきわまるところが問題でなければなりません。一時の合流は見たけれど、それがために大雨がにわかに到ったというわけでもなし、双方を納得《なっとく》せしむべき解決条件が見出されたというわけでもないらしいから。
 これからこの浪人に率いられて、どこかへ行くのだ。どこぞへ行って、改めて熟議を凝《こら》すものに相違ないが、どこへ行くつもりだろう――そんなことまで、米友が想いやっているうちに、早くも右のさむらいを先頭にして、この群衆の姿は全部村の中に隠れてしまいました。
 そこで、川原の中に止まる者は、はや宇治山田の米友と、両替の駄賃馬ばかり――それも、いつまでこうしていなければならぬはずのものではない、ともかく、市《いち》が栄えてみると、自分たちは、自分たちとしての引込みをつけなければならない。
 かくて、米友は、おもむろに馬を曳《ひ》いて、川原の中から、こちらの堤の上へのぼって、仮橋のある柳の大木のあるところまでやって来たのであります。が、そこで米友が、まず目についたのは、その柳の木の下に一つの立札があって、これに筆太く記された字面《じづら》を読んでみると、
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「姉川古戦場」
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 ははあ、なるほど、この川が昔の合戦で有名な姉川か。
 更にその立札に曰《いわ》く、
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「元亀元年織田右府公浅井朝倉退治の時神祖御着陣の処」
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 ははあ、そうか、太閤記の講釈で聞いているところだ。さすがの織田信長も、この時の戦《いくさ》は難儀だったのだ、徳川家康の加勢で敗勢を転じて大勝利を得たということは知っている。朝倉の家来|真柄《まがら》十郎左衛門が、途方もない大太刀を振り廻したなんどという戦場がここだ。
 米友がこの立札によって、自分の歴史的知識を呼び起し、その心持でまた川原を見直すと、どうもなんだか、今まで両岸に騒いでいた甲の村が織田徳川で、乙の村が浅井朝倉ででもあったような感じがする。ただ山川として見るのと、歴史的知識を加えて見るのとでは、米友としても何かしら観念が一変するらしい。
 だが、自分としてはわざわざ古戦場見物に来たのではない、胆吹山《いぶきやま》の京極御殿へ帰らなければならないのだ。これから胆吹へ行くには、なにも必ずしもさいぜんのところまで引返すがものはあるまい、引返してみたところで、また悪気流の中へ飛び戻るようなものだから、この橋でこの川を渡ってつっきって行きさえすれば、胆吹へ出られるだろう。そこで米友はもう一応、馬のつけ荷を改めて、腹帯、草鞋《わらじ》を締めくくり、それにしても誰かに道案内を聞きてえものだと思案して立つことしばし、その背後からポカポカとのどかな音を立てて、御同様駄馬が数頭やって来るようです。
 よし、あいつに聞いてやろう――果して、ポカポカとやって
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