らまた、その皮肉な口のききっぷりが、どうやら目指す敵の道庵に似通ったところが無いでもない。
こいつぁ儲《もう》けものだ!
一座が意気込んで聞いているので、通人はようやく得意になり、
「君たちには、まだ江戸ッ子の定義と分類がわかるめえ、早い話が君たちぁ、昔の通人|風来山人《ふうらいさんじん》平賀源内といえば忽ちちゃきちゃきの江戸ッ子と心得るだろうが、大きに違う、君たちぁ、十里離れた江戸ッ子だの、炭焼江戸ッ子だの、色が黒いのなんのと言うけれど、風来山人なんぞは、江戸を距《さ》る海陸百七十九里半、四国の讃州高松というところから出て来た四国猿の江戸ッ子なんだ。その四国猿の風来山人が、江戸ッ子で通るようになった因縁というものは……」
「もうたくさん――わかりました。時に大通《だいつう》、いいところへおいで下さった、我々の仲間で、ぜひ一つ通人に腕貸しをしていただきたいのはほかではない――他聞を憚《はばか》るによってちと……」
そこで木口勘兵衛と、安直と、通人が鼎《かなえ》になって、ひそひそと物語りをはじめました。
三下奴《さんしたやっこ》たちも三人の密談をさまたげまいとして、すべて控え目になると、この席がしいんとしてきました。
ところが、この座席がしいんとしてくると同時に、襖《ふすま》を隔てた隣りの席がにわかに物騒がしくなりました。にわかに物騒がしくなったのではない、先刻からずいぶん物騒がしかったのですが、こちらがいきり立っているために、なかなか耳へ入らなかったのですが、今、こちらが控え目にして静まったために、隣り座敷の物騒がしさがひときわ冴《さ》えて聞え出したというものです。
聞いていると、キャッキャッと言って引っかいたり、ワッと言って笑ったり、バタバタと物を捨てるような音がしてみたり、銭をバラバラと掻《か》き集めたりするような音がする。こちらがなんで静まり返ったかというようなことは一向おかまいなく、興に乗じてどっと崩れるような笑いが起きたり、また存外真剣になって張合っているような気色にも聞えたり、
「坊主」「青丹《あおたん》」「ぴか一」
「雨、あやめ」「三光」
というような声が洩《も》れて来る。ははあ、賭博《ばくち》をやっているな! 賭博の一種、花合せを――
しかも、こちらのことにおかまいがなく、あまりにのぼせ上って賭博をしているものだから、こちらから下駄っかけの時次郎がたまりかねて、
「おい、もうちっと静かにしておくんなせえ」
隔ての襖をサラリとあけて、たしなめ面をした。その隙間から見ると、いるいる、車座になってばくちの大一座。
正面切ったのは、色の白い、ちょっとぼうぼう眉のお公卿《くげ》さんと見えるような大姐御《おおあねご》、どてらを引っかけて、立膝で、手札と場札とを見比べている。
その周囲に居流れた雪の下の粂公《くめこう》、里芋のトン勝、さっさもさの房兄い、といったようなところが、血眼《ちまなこ》になって花を合わせている。
一方には、別にまた自分の女房らしいのを賭け物に引据えて置いて、しきりに丁半を争う二人組もある。
四十
あだしことはさておき、上平館の一室の炉辺に於ては、宇治山田の米友が寂然不動の姿勢をとって、物を思いつつあることは以前の時と変りありません。
このたびは、何かこんがらかった想像が、それからそれと思案に余るものがあると見えて、夜舟を漕ぐような懈怠《けたい》が無いのみならず、そのもてあます思案がいよいよ重くなると共に、頭も、眼も、相当に冴えてくるのです。ここでとうとう鶏が鳴いてしまいました。
鶏が鳴いたといっても、必ずしも夜が明けたという意味にはならない。一鳥鳴いて山更に幽《かすか》なりということもあるのだから、時と人とによっては、これから日の出の朝までをはじめて夜の領分として、この辺から徐《おもむ》ろに枕につこうというのも多いのです。今の米友はそのいずれにも頓着はないのですが、胆吹の全山は、まだ鶏の一声によって呼び醒《さま》されてはいないのです。
思案に耽《ふけ》る米友は、無意識に火箸の先で炉辺の軽い薪を取りくべながら、重い頭を垂らしていたが、ふと、
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
という声に驚かされて、その傍《かた》えを見やると、道庵先生が、縦の蒲団を横にして寝ているのです。
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」というのは、つまり右の道庵先生の、これぞ熟睡中に無意識に口を動かしたところの、うわごとのようなものでありました。
そこで、米友は、また先生のために、夜具の片端を坐りながらちょっと引延ばして、なるべくその足の方の部分が露出しないようにと気を配ってやりながら、今、ムニャ、ムニャ、ムニャという発音をしたところの先生の寝顔を、見るともなく見やりました。
「御苦労のねえ先生
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