ですから、蒲団を持ちながらハッとしました。
二十四
鷲の子のまたしても不意に、今度は以前より一層また慌《あわただ》しく、けたたましくはばたきをやり出したのに驚かされたのは、お雪ちゃんばかりではありません。
米友も屹《きっ》となって、その時、鷲の子のはばたきのした方向よりは、ふり仰いで自分のいる天井の上を見上げたのです。
「お雪ちゃん」
「何です、米友さん」
「何か来ているぜ」
「おどかしちゃいやよ、友さん」
「おどかしじゃねえ、何か来ているんだよ、この上の方に、てんまる[#「てんまる」に傍点]じゃねえかな」
と言って米友は、天井の上を屹と見上げたままです。その途端に、鷲の子のなお一層はげしいはばたきの音が、連続的に響いて来る。お雪ちゃんは、そのはばたきの音の方だけが気になるが、米友はかえって、それとは別角の天井の上を首の疲れるほどながめ、且つ耳をすましながら、
「ほら、お雪ちゃん、お聞き、この上の方で、もう一つはばたきの音がするだろう、あれ、木を食い切るような音が――」
「ほんに……」
お雪ちゃんは耳を傾けると同時に、楯《たて》を裂くような、何とも言えない強い肉声が聞えました。
「あ、わかりました、わかってよ、米友さん、あれあれ、あのお庭の松の木の上でしょう」
「そうだ、たしかに松の木の上あたりだ」
「鷲が来たんですよ、親鷲が、この鷲の子を取戻しに来たのです」
「そうか、そいつは……」
それから、物凄い鳥の叫びが屋根の上で起ると、にわかに大風を起したような物音が、例の松の大木の上でする。そうすると、その声と物音とを聞きつけて、こちらの鷲の子が、バサバサ、ガタピシと、もう矢も楯もたまらずに、檻《おり》の中で飛び狂うのが手に取るように聞えるのです。
米友は、そこで杖槍を引寄せてみましたけれども、さし当りどちらへ向っていいのか戸惑いの形です。
お雪ちゃんは、ただオドオドしている。
いかに短気一徹な米友でも、これはちょっと相手に取り難いものがあるのです。事情によって判断すれば、この戸外の松の大木あたりに、猛鳥が来て狂っていることは事実だが、それはなにも我を襲いに来たわけではない、親として子を思うという、徹底的に深刻純真なる本能が如実に現われたというまでのことであり、一方はまた、なにも我々を驚かし騒がせんがためにむやみにはばたきを試みたというわけでもなく、捕われの身の子として、親が戸外まで迎えに来ているということを知ってみれば、居ても立ってもいられないのは、何人といえども見易《みやす》き、これも単純にして深刻なる本能の発動に過ぎないのであります。
しかし――天上天下一切万象が、皆この単純なる本能によって支持されている。
お雪ちゃんも語らず、米友も問わないけれど、この物の道理は、ひしと二人の胸にこたえています。ですから、米友は得意の杖槍は取りは取ったけれども、これを持って外なる親に向うべきか、内なる子を戒《いまし》むべきか――途方に暮れているのもまた、やむを得ないものがある。
「やかましいやい!」
と、米友が思わずじだんだを踏んで、こういって怒鳴りつけてみましたけれど、その悪罵《あくば》には毒を含んでいませんでした。それのみか、その眼に何となしに露を帯びている。
「やかましいやい! いいかげんにしろ、鳥!」
最初は天井を見上げて言ったのだが、次には軒の方に向って叫びました。お雪ちゃんもまた最初から途方にくれて、
「友さん」
「うむ」
「どうしようねえ」
「どうしようったって……やかましいやい、鳥!」
米友が二度、じだんだを踏みました。
この場合、さすがの二人も、上と下とで、かけ合わせる鳥類の猛絶叫のために、完全に圧倒せしめられたようなものです。
その結果、二人とも全くの沈黙に陥れられてしまいました。だが上と下との鳥類は、単に一方が一方に弥次《やじ》り勝って、一方を沈黙させれば、それで勝利の満足の快感に酔うというスポーツ的興味のために喚《わめ》いているのではないのですから、内なる二人が沈黙しようとも、すまいとも、その怒号と喧噪とをやめることではありません。
ただ不思議と思われるのは、高い樹上で怒号している親鷲なるものが、なぜもっと近く、庭上、少なくとも地上まで降りて来ないかということでありました。いかに猛禽《もうきん》が降り立って肉薄して来《きた》っても、戸締りはさいぜんがっしりとしてあるから、室内まで異変を及ぼすということは、万《ばん》ないにきまっているが、ここまで来て、ああして騒ぐ上は、たといくろがねの垣根一枚が破れようとも、破れまいとも、もっと近く肉薄して来なければならないと思われるのに、声の烈しくして切なるわりには、距離が遠くして高過ぎるきらいがある。
しかし、いよいよ加わってくる
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