の子をして、突然こうもあまたたびはばたきをさせるようになったその誘因というものが、相当気にかかるらしい。
 しかし、鷲の子のはばたきは、それだけでともかくおしまいになって、あとは以前にも増して静かな夜に返りました。
 そうして二人の銭勘定にいっそう身が入るものですから、その銭の音だけがザラリザラリと深夜の畳の上を我物顔に走るのです――初めのうちはそうでもなかったが、あまり静かになってしまったものですから、その銭の音が――自分で数えて、自分で音を立てていながら、お雪ちゃんが、つい、なんだか怖いような感じに襲われてしまって、ついには思わず助けを求めてるような気持にまでなって、米友の方を見ると、米友はべつだん銭の音に、恐怖も戦慄も感じてはいないで、うつむきかげんに数えてはザラザラとやっています。そこで、お雪ちゃんは、米友の数える銭の音までが加勢して、自分の恐怖心に向って食い入って来るような気がしてたまらなくなりましたから、米友に向って何か話しかけて気を紛らそうとしましたが、あいにく急に持ちかける話題が見当らず、なんだか舌がもつれるようで、何と言い出したらいいか、戸惑いをしていたが、やがてやっと、
「米友さん、米友さん」
「何だい」
と、米友は相変らず下を向いて平然たる返事だものですから、それに少しばかり勇気をつけられて、
「武州の高尾山ではね……」
「うむ」
「武州の高尾山の奥の院で、ある晩に、天狗様がこうしてお銭《あし》の勘定をしていましたとさ」
「天狗様が銭勘定をかい、イヤにみみっちい[#「みみっちい」に傍点]天狗だなあ」
「そうするとね、次の間で、どろぼうがそっと立聞きをしていたんですとさ」
「なるほど――」
「ところが、どうでしょう、そのどろぼうが、天狗様の銭勘定をしている次の間の壁板に耳をくっつけて立聞きをしているうちに、その耳が壁へすっかりくっついてしまったんですとさ。天狗様が、誰だ、そこで立聞きをしている奴は……と叱ったものですから、驚いてその盗賊が逃げようとしたが、板に耳がくっついてしまったものだから離れられないのです。で、とうとう小柄《こづか》を抜いて自分の耳を切り裂いて逃げたと言いますがねえ、その耳の附いた板が、今でもあのお山に宝物となって残っているそうです。それを思い出したせいか、わたしはあんまり静かにしてお銭《あし》を勘定していると、次の間で誰か立聞きをしているものがあるのじゃないかと思われてなりません。米友さんは?」
「おいらは何とも思わねえが、どうも誰か人が来るような気がするにはする」
「それごらんなさい、わたし、どうもさっきから、何かわたしたちの背後《うしろ》に来ているものがあるような気がしてなりません」
と言った時に、突然、入口のところで、
「は、は、は、は」
という笑い声がしたので、お雪ちゃんも、米友も、びっくりして銭勘定の手を休めて、その笑い声のした方を見ると、ガラリと潜り戸をあけて平気な面《かお》で入って来て、上《あが》り框《かまち》に腰をかけて、こちらを見ながら、にやにやと笑っているのをお雪ちゃんが見届け、
「あら、不破の関守さん」
「お二人さん、よく御精が出ますな、お宝の勘定は悪くないものでござんしょうな」
とお世辞を言ったのは、二人ともに充分納得のゆく、この新屋敷の同居人、不破の関屋の関守氏でした。

         二十三

 同居人とは言いながら、離れた本館の方に在《あ》って、常にお銀様のために、工事と計画の参謀と、その監督に当っている人ですから、突然こうしてここへ来ようとは思っていなかったのですから、意外というのは、ただそれだけなのです。
「よくいらっしゃいました、どうぞこちらへ。おや、どこぞへおいでのお帰りでございますか」
とお雪ちゃんが、関守氏の相当な足ごしらえを見ながら、炉辺に請《しょう》じますと、関守氏は、
「いや、拙者も長浜まで行って参りましたよ、お銀様から急用を頼まれましてな。その頼まれた急用というのはほかじゃありません、友造君を迎えに行ったのです。友さん、よく無事で帰れましたね」
「そりゃ、出て行ったもんだから、帰るのがあたりまえだあな、お前、わざわざ迎えに来てくれなくったって、おいらあ一人で帰れるよ、女子供じゃあるめえし」
と米友が言いました。
「もちろん女子供じゃない、常人以上に勇敢なる友造君なればこそ、お銀様もわざわざ君に両替の宰領を託したわけなんだが、もしやあの百姓|一揆《いっき》の渦の中に捲き込まれるようなことになりはしないか、それを心配したものだから」
「そんなこたあねえ」
と米友が力《りき》むのを、お雪ちゃんが、
「まあ、百姓一揆? 何か騒動が起ったのですか」
「お雪ちゃん、あなたはまだ御存じないのですか、長浜在で代官を相手に農民共が一揆暴動を起してしま
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