にみいりのある商売でありませんでしたから、雨が降ったり、雪が積ったりすることに妨げられる商売でありました。日によって、参詣客の投げ銭のはずむ日もあれば、はずまない時もあるのであります。そこで米友といえどもあぶれ[#「あぶれ」に傍点]て帰ることもないではありませんでした。
 米友があぶれるくらいの時は、他の網受けの子供は全くみじめなものでした。彼等は、その日その日に相当のものを持って帰って親方に提供しないことの代りには、或いは折檻《せっかん》となり、或いは締出しとなり、或いは欠食となって反応することを米友が知っていました。そういう場合には、米友は、自分の持っていた収入をほとんど残らず分けてやって、そうして彼等の受くべき折檻と、締出しと、欠食とを、自分が代って満喫せしめられたことも、子供の時分に一度や二度ではなかったのであります。
 そういう時に米友は、しみじみと、銭というものの魔力を思い知らせられたことでありました。僅か幾文《いくもん》の銭がありさえすれば、自分たちはこの虐待と飢餓から救われることだ――銭があればいいなあ、と米友は、夜の寒空に軒端の縁に腰かけて尾上山《おべやま》つづきの星を数え、間《あい》の山《やま》の灯《ひ》の赤いのを恨みわびながら明かしたことも、一晩や二晩ではなかったのであります。
 しかし、そういう時に米友はお君のところへ相談に行くことをしなかったものです。お君へ相談に行けば、お君がまた気の毒がって身の皮をむいて身代りをしてくれるにきまっている。他の苦しみを自分が背負うのはやむを得ないが、それをまた背負いきれないで他に転嫁するということは、結局苦しみの盥廻《たらいまわ》しをするだけのことで、苦しみそのものの救いにもならないし、解消にもならないということを、米友はよく知っておりました。
 そこで米友はガッチリと歯噛みをして飢えと寒さに顫《ふる》えながら、曾《かつ》て一度も苦痛の声を漏らしませんでした。しかしながら、そういう場合に大楼の店先などを通って、銭金を湯水の如くつかう人や、物売りの店棚でおいしい御馳走のにおいをプンプン嗅がせられた時など、彼もクラクラと眼がくらんで、フラフラと足が顫えることがありました。それにも拘らずついにこの男の正義心が、ビタを一枚盗むこと、物を一つちょろまかすことを、絶対に許しませんでした。
 それから、あんなわけで故郷を立退いて、乞食同様になって東海道を下って来た間、どのくらい自ら銭の無い旅の苦しみを味わわせられ、また一方、どのくらい銭の有り余る旅客の贅沢《ぜいたく》ぶりを見せつけられたか知れなかったのですが――この男は銭の有難味を知りながら、ついに銭の誘惑には負けたことがありませんでした。
 米友は今、痛切にその事の記憶をよみがえらされたのですが、そんな思い出話をスラスラと、或いはベラベラと話し出す男ではありません。何とも名状し難い、こし方《かた》の道の思い出を、ガッチリと歯を喰いしばって縛りつけようと試みていたのですが、その事の想像の以外は、どうしてもお君のことにうつらないというはずはありません。
「あっ! いやだな」
 米友が、思わずこう言ってうめいたのが、お雪ちゃんを少し驚かせました。
「どうしたのです、米友さん」
「どうもしやしねえが……」
と言いながら、米友がややあわてて、また事改まったように銭勘定にとりかかると、今度は不意に程近いところで、バサバサと聞き慣れぬ物音が起ったので、かえって米友が驚かされました。
「何だい、ありゃ」
と言っているところへ、続いて同じように、バサバサの音が前よりはちょっと手強く響きましたので、米友が数えかけた銭を置いて、音のした方を見込みながら、その手は我知らず、炉辺に置いた杖槍の方へのびていると、お雪ちゃんがかえって落着いて、
「米友さん、吃驚《びっくり》しなくてもいいわ、あれは鷲《わし》の子なのよ」
「え? 誰の子なんだって?」
「鷲の子なんですよ、ほら、鷲といって、鳥のうちでいちばん大きくて、いちばん強い鳥、あの鳥の子供がいるんですよ」
「へえ……鷲の子がかい、どうして、どこに」
「わたしが飼っているんですから、心配しなくってもようござんすよ」
「どうして、お前、鷲の子なんぞを飼いだしたんだえ」
「どうしてたって、それにはわけがあるのよ、お銀様が村の人から買ったその鷲の子を、わたしが預って世話をしています、それが今はばたきをしたところなんです」
と言っているうちに、たしかに納戸《なんど》の方にいるその鷲の子なるものが、またも続けざまに二度三度はばたきをしました。

         二十二

 米友としては、お雪ちゃんの説明で一応|納得《なっとく》したけれども、まだ心残りはあって、鷲の子の存在はそれでいいとしても、今まで静かにしていた鷲
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