もその手であしらっているのでした。
 しかしもう、料理方の日課としてのたいていは済ましてしまって、今はこの栗のゆだり上りを待つだけの閑散になりましたから、そこでまたお茶を一ぱい。
 二人はこうして、静かな秋の夜にひたり得る無心の境地を味わいました。

         二十

 かくて二人は、極めて無心、平和、閑寂なる空気のうちに茶話を楽しみましたが、暫くして仲よく銭勘定にかかりました。
 その時分には、もう栗もすっかりゆだり上ったから、新鍋は現役を退いて流し元の方に差控えさせられて、新鍋の代りに、古いほど味の出るという南部の鉄瓶《てつびん》が、燻《くす》ぶった旧地位を自在の上に占有しています。
 米友が炉辺に近く担《かつ》ぎ出した千両箱、それを座敷の真中にザクリとひっくり返した時に、二人が思わず眼を見合わせました。
 深夜の物音としては、意外にそれが響き過ぎたからです。
 その以前、根岸の化物屋敷で、七兵衛所有に属する金箱を、お絹にそそのかされた神尾主膳が突き破ってみたような、あんな不義不正なる物音とは比較にならないが、しかし、静かな夜中に思いの外、異った大きな音がしたものですから、二人は面《かお》を見合わせたのみならず、お雪ちゃんの如きは蛇にでも襲われたもののように、遠く一間ばかり飛びのいたくらいでしたけれども、つもってみればこれは少しも怖ろしい性質のものではなく、れっき[#「れっき」に傍点]とした所有主のお銀様から、用心棒としての米友が託されて、長浜まで両替に行って来たこの金銭――それを今、保管と収支とを託されているお雪ちゃんが、手にかけて、米友に手伝ってもらって計算に当ろうというのだから、形式に於ても、良心に於ても、少しも咎《とが》むべき筋ではないのであります。
 ですから、いったん脅迫観念に襲われたお雪ちゃんも、たちまち思い直して近く寄って来て、散乱したのを掻き集めながら、改めて米友と共に、この小銭の山の取崩しから計算記帳にとりかかりましたのです。
 この小銭を、種類によって、ザクリザクリとわけて数えながら言いました、
「有るところにはあるもんだなあ、金というやつは――」
「ほんとに、そうですね、有るところには有るものです、あのお嬢様のお家には、いったいどのくらいあるんでしょうかしら」
とお雪ちゃんが相槌《あいづち》を打つと、米友公が、
「有るところにはあるが、ねえとなるとまるっきりねえのが金だ」
「全くその通りよ、お金持のところには唸《うな》るほどあっても、貧乏人のところには薬にしたくもないのですから」
「有るところには有り過ぎるほどあって、ねえところには無さ過ぎるほどねえ、そのくせ、誰もみんなこいつを欲しがっていることは同じなんだが、どうしてまた、こいつが集まるところへはうんと集まり、来ねえところへはちっとも来やがらねえんだろう。ケチな野郎だな、この銭金《ぜにかね》という野郎は……」
 米友は数えかけた天保銭を二三枚取って、畳の上に叩きつけました。

         二十一

 宇治山田の米友は、特に銭金に数々の恨みがあるというわけではないが、また生立ちからしても、そう多分に銭金に恵まれつつ育って来た男ではないこと申すまでもありません。
 だから、特に銭というものを呪い憎んだり、またその銭の集積によって勢力を得つつある資本家というものに、特別の戦闘意識は持っていなかったのですが、時々思わず昔のことを思い出して、銭の記憶というものに、あんまりいい気持のすることばかり無かったことが、むらむらと頭へ上って来たものですから、そこで無意識に銭を畳の上へたたきつけてみただけのものなのでありました。
 この時、宇治山田の米友が、ことに銭金について、あんまりいい印象ばかりを思い起さなかったという頭の中を解剖してみると、ほぼ次の如くでありましょうか。今、こうして夥《おびただ》しい銭勘定をさせられてみたところで、急に赤い方へ転向の謀叛気《むほんぎ》をそそのかされたと見る理由もなく、また事実上、この男は、性質は単純であるけれども、意志は鞏固《きょうこ》ですから、そう軽々しく右になったり左になったりする男ではないのです。
 ところで、たった今、急に銭を浚《さら》ってやけに投げ出してみたのは、一時《いっとき》むくれてみた持前の癇癪《かんしゃく》に過ぎません。
 宇治山田の米友は、伊勢の国に在る時に、神宮の前の宇治橋の下で網受けをして生業《なりわい》を立てていたことは、先刻御承知のことであります。彼はなお御承知の通りに、槍の妙術から来るところの芸術的天才を持っていましたから、ほかの子供よりも、その収入が多かったことは当然でありました。
 しかしながら、この商売というものも、ゲッキュウ、ゲッキュウと靴を鳴らして、ならし[#「ならし」に傍点]
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