話をして下さいな。名所案内ばかりじゃありません、何でもいいから、この土地にありきたりの話をして聞かせて下さいな。さあ、遠慮なくおやり。舞子さん、あの和尚さんにお酌《しゃく》をしてあげてちょうだい」
と言って、今法界坊にお角はまず酒と肴《さかな》を振舞うと、法界坊、いたく恐悦して盃を押戴き、一口しめして、肴をつまみ、
「ああら珍しや酒は伊丹《いたみ》の上酒、肴は鮒《ふな》のあま煮、こなたなるはぎぎ[#「ぎぎ」に傍点]の味噌汁、こなたなるは瀬田のしじみ汁、まった、これなるは源五郎鮒のこつきなます、あれなるはひがいもろこ[#「ひがいもろこ」に傍点]の素焼の二杯酢、これなるは小香魚《こあゆ》のせごし、香魚の飴《あめ》だき、いさざ[#「いさざ」に傍点]の豆煮と見たはひがめか、かく取揃えし山海の珍味、百味の飲食《おんじき》、これをたらふく鼻の下、くうでんの建立《こんりゅう》に納め奉れば、やがて渋いところで政所《まんどころ》のお茶を一服いただき、お茶うけには甘いところで磨針峠《すりはりとうげ》のあん餅、多賀の糸切餅、草津の姥《うば》ヶ餅《もち》、これらをばお茶うけとしてよばれ候上は右と左の分け使い、もし食べ過ぎて腹痛みなど仕らば、鳥井本の神教丸……」
くだらないことをのべつに喋《しゃべ》り立てながら、酒を飲み、肴を数えたてる。お角さんもそれを興あることに思い、それから、
「さあ、舞子さんたち、陽気に一つ踊って下さい」
芸子、舞子が、やがて三味線、太鼓にとりかかると、今法界坊が、
「さらば愚僧が一差《ひとさし》舞うてごらんに供えようずるにて候」
いちいち謡曲まがいのせりふで、がっそう頭に鉢巻をすると、いまにも浮かれて踊り足を踏み出そうとする気構え、こいつも相当に茶人だと一座も興に入りました。
そうして舟は湖面を辷《すべ》り出して、瀬田、石山の方へと進み行くのであります。
五十三
こうしてお角の遊山舟が、さんざめかして湖上遥かに乗り出した時分に、あわただしくその舟着へ押しかけた一団の者がありました。
その連中を見ると、野侍《のざむらい》のようなものもあり、安直な長脇差もあれば、三下のぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世もあり――相撲上《すもうあが》りもあり、三ぴんもあり、いずれも血眼《ちまなこ》になってここへなだれ込んで、そうして、
「どうした、お角
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