だいていると判断してもさしつかえないでしょう。ところが賢母としての今の女の人の後ろに、清くして力のある子供の声が続いて起りました。
「お母さん、誰かいるの」
「ああ、それにどなたかおいでになります」
そこでいったん踏み止まって多少の躊躇《ちゅうちょ》をしたけれども、それが済むと、この母と子は合点をして、その無言で突立った黒い姿の前をずんずんと通り抜けにかかりました。
何でもないことのようですが、それはかなり大胆不敵な挙動と言わなければなりません。
繰返して言えば、自分たちは礼儀をもって一応挨拶を試みたのに、先方は、その挨拶を返さないのみか、道路の真中よりは少し後ろへ寄っているにはいるらしいが、この場合、真中に立ちはだかっていると見て差支えない、それを一歩も譲ろうとさえしないのです。聴覚の全然喪失した不具の人でない以上、たしかにこちらに対して寸毫《すんごう》も好意を持っていないものの態度、しかも、篤《とく》と闇を透して見れば、覆面をして長い二つの、触《さわ》らば斬るものをさして突立っているのですから、無気味ということの以上を通り越して、害意もしくは殺意をさしはさんだ悪人と見るのが至当なのです。しかるにその前を、一応の挨拶だけで平気で子供を連れて通り抜けようとするのは、毒蛇の口へ身を運び入れるのと同様の振舞なのであります。
しかも母の方は女のことであり、子は道中差にしては長いのを一本差しているにはいるが、これとても通常の旅の用心で、それ以上に二人には、なんらの武装というべきほどのものが施されてあるのではありません。
しかし、無心というものの境涯こそは、あらゆる無気味に超越すると見え、この母と子は、すらすらと、この危険きわまる存在物の立ちはだかりの前を通り過ぎて、極めて安祥として二三間向うへ離れますと、
「どこへ行くのです?」
この時、物静かに、はじめて発音したのは、こちらの無気味きわまる黒い姿の存在物でありました。
「はい」
と、また踏みとどまってこちらへ向きながら返答した賢母は、言葉は無論、足もとに至るまで前同様少しの狼狽《ろうばい》さえ見えません。
「長浜までまいります」
行先までをはっきりと名乗りました。
「長浜へ、長浜の町では、今晩何か物騒がしいようです」
「はいはい、陣触れがございます」
「陣触れが」
「はい、それであの通り篝《かがり》を焚いてい
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