るという理窟になるのですから、その点から考慮しても、道庵の胆吹入りは、脱線でもなければ無軌道でもなく、また墜落でもないことの証言は成り立つのです。
 ただ、もう少し追究すると、そんならそれで、従者なり、案内人なりを連れて、白昼やって来ればよいのに、この真夜中に、こういう危険を冒《おか》してまで探究しなければならぬ必要と、薬草とがあるか? というようなことになるのですが、それは専門家としてのこの先生に減らず口を叩かせると、本来、薬草というものは、見物に来るべきものではない、臭いをかいでなるほどとさとるものもある、臭いをかぐには深夜に限る、なんぞと理窟をこねるかも知れない。また草木の真の植物的機能を知るために――草木といえども、動物と同様に休息もすれば、睡眠もとる機能がある、それを観察するために、わざと深夜を選んだという理由も成り立たぬことはないでしょう。ことにまた植物の葉というものは、空気に先だちて暖まり、空気に先だちて冷ゆるものであるから、葉温は空気の温度に支配せらるるというよりも、むしろ葉温が気温を支配するというのが至当であるという見地から、植物の葉の温度は、日中には著しく気温よりも高く、晴夜には著しく気温よりも低いということの実験を重ねるために、わざわざ深夜を選んだということの理由も成り立たないではないが、地方から最近転任のお巡りさんが、挙動不審犯を交番へ連れ込んだ時のように、この先生の行動の出処進退を調べ出しては際限がない。第一、この胆吹山へ突入までの石田村の田圃《たんぼ》の中で、衣裳葛籠《いしょうつづら》を這《は》い出して、田螺《たにし》に驚いて蓋をさせたあの場を、どうして、どういうふうに遁《のが》れ出して、この胆吹山まで転向突入するまでに立至ったのか、その証拠固めをして、辻褄《つじつま》を合わせるだけでも、容易な捜索では追っつかないが、それは酔いのさめる時を待って徐《おもむ》ろに訊問をつづけても遅くはあるまいが、要するに、道庵は道庵として職に忠実にして、学に熱心なるのあまり出でた、全く無理のない行動をとって、ここに縦の蒲団を横にして、上平館《かみひらやかた》の松の丸の炉辺に寝込むまでの事情に立至ったことを、信じて置いていただけばよろしいのです。

         三十七

 右の如くして道庵先生の行動に関する限り、挙動不審は一応晴れたけれども、この麓《ふ
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