ても、今時、この胆吹山の山腹あたりに、十八文の先生風情に向って誘惑を試むべく、ふくらっ脛《ぱぎ》の白いところを臆面なく空中に向って展開しているような、洒落気《しゃれけ》満々たる女があろうとは思われないし、また、先刻の大きな鷲《わし》にしてからが、良弁《ろうべん》とか弁信とかいったような可愛らしい坊主の頭の一つもあれば、さらってみようとの出来心を起すかもしれないが、この薄汚ない、拾ったところで十八文にしかならない老爺を、わざわざ重たい思いをして空中まで引き揚げてみようという好奇心も起らないでしょう。
してみれば、道庵先生が今晩このところへのたり着いたのは、結局、脱線でもなく、無軌道でもなく、墜落でもなく、要するに尋常一様の平凡にして最も常識的なる行動のとばっちりと見るほかはないので、事実もまたその通り。その最もよく証明するところのものは、この時に至るまで、今も現に縦の蒲団《ふとん》を横にしてのたり込んだ寝床の中までも、しかと片手に握って放さないところの一片の草根木皮が、それを有力に説明するのであります。
道庵先生こそは、実に薬草を採取すべく、乃至はそれを調査すべく道を枉《ま》げて、この胆吹山に入りこんだのであります。
医者が薬草をとる――天下にこれほど当然にして常識的な行動はない。酒屋が酒を売り、餅屋が餅を売り、車曳《くるまひき》が車を曳き、犬が西へ向けば尾が東ということほど、自然にして通常な行動であり、ことにまた、その胆吹山という山が薬草の豊富を以て天下に聞えた山であるという以上は――それは明らかに歴史も証明し、実際も裏書きする――織田信長が天主教に好意を持っていた時分に、この山を相して薬園の地とし、外国種の薬草三千種を植えたという事蹟は動かせないことだし、更にその以前に遡《さかのぼ》って見ると、延喜式の中に典薬寮に納むる貢進種目として「近江七十三種、美濃六十二種」とある薬草は、そのいずれの方面よりするも必ずや、この胆吹山によるところの薬草が大部、ほとんど全部を成しているであろうことは信ぜられるのですから、いやしくも医学に志あり、本草に趣味を有する人にとっては、この胆吹山は唯一無二の宝の山といってもよいのです。されば、職に忠実であり、学に熱心であるところの日頃心がけのよい道庵が、この山に突入することが当然で、突入しないことがむしろ外道《げどう》であり、怠慢であ
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