郎殿が、調子を合わせていた三味線をおっぽり出して道庵の前へ飛び出して来ました。
「これはこれはようこそ、まことにはや、御親切さまの至りでございやすで、はあ、未熟なわしらが芸事を、それほどに聴いておくんなさる御親切、何ともはや、忝《かたじ》けねえでございます。お目の高えお江戸の本場の旦郷衆にお聴かせ申すような芸じゃごぜえませんが、そうまでおっしゃっていただいてることがはや、わしゃ一生の誉れでございまさあ。どうぞこちらへ、なお、どうかゆっくりごらん下されやして、悪いところは幾重にもお手直しをお願い申します。さあさあ、どうぞこちらへ……」
 下へも置かぬもてなしぶりでございますから、道庵もまたいい気になりました。
「それじゃ、まあ、ごめん下せえまし、わしも若い時分は江戸の三座の楽屋へ入り浸って鼻高でも、よいみつ[#「よいみつ」に傍点]でも、みな贔屓《ひいき》にしてやったものさ」
と言って道庵、腮《あご》を撫でながら、太夫さんのすすめてくれた舞台用の緞子《どんす》の厚い座蒲団《ざぶとん》の上に、チョコナンとかしこまりました。
 ずいぶん人見知りをしないお客様だとは思いながらも、なにしろ田舎《いなか》でも素人芝居の一つも打って見せようという通人揃いだから、かえってこの人見知りをしないお客様のさばけ方に恐悦し、それに、賞められたのは単にチョボの太夫さんばかりではない、一座の芸術すべてに感心して、そうして総花《そうばな》として、今坂の三蒸籠も奮発しようというくらいだから、一座上下みんないい心持で、道庵に好意を持たないのはありません。ですから、次の幕の面《かお》にかかっているのも、前の幕の落武者も、みんな頭を下げるし、言いつけられないのに、お茶よ、煙草よと、もてなし方が尋常ではありません。
 この辺で道庵も引きさがってしまえば無事なんですけれども、どうしてどうして、そんなことでおさまるくらいなら、今坂の三蒸籠も自腹を切るはずがない、忽《たちま》ち今度は高綱が出る役どころの親玉を見つけると、
「や、親方、おめえさんだね、いま光秀をおやりなすったなあ。結構ですね、ありゃ、梅玉《ばいぎょく》の型だろうが、わしに言わせると、あそこはやっぱり高麗屋《こうらいや》で行きたいねえ。必定《ひつじょう》――ひさよし――上方の方の役者は、えてこういう眼つきをして、面《かお》で芝居をしたがる。しのびいるこそくっきょう一、あすこんところが、こう、竹槍をこういうふうに構える型と、それからまた、こう構える型とある。まあ、役者の柄によるものさ。柄の小さい役者は、芸を派手に大きく見せるために、こうなるんだ、だが、柄の大きい役者が、こう持っちゃ損だね。小田の蛙《かわず》の鳴く音《ね》をば……あれから、突込む手練の槍先に……あそこまでのところの呼吸が、お前さんのは、すっかりコツを心得ておやりなすったには恐れ入ったね。なんしろ、竹槍で人を突っつき殺すなんてことは、本来ならば匹夫下郎のやる仕事だあね。まあ、歴史上から言ってごらん、お前《めえ》さん、たとい三日天下にしろ天下の将軍職についた、惟任光秀《これとうみつひで》ともあろうものが、差足抜足《さしあしぬきあし》うかがい寄って、敵の大将の寝首を竹槍で突っつき取ろうなんてえのはあるべきはずじゃあねえんだがね、それがそれ芝居で、作者の働きさ。惟任将軍ともあるべきものが、名もなき土民の竹槍で命を落す悲惨な因縁因果を、それ、主と親を殺した天罰にからませて、趣向を変えてあそこへ持ち込んだところが作者の働きなんだから、演《や》る方もよく心得て、匹夫下郎の真似はしながらも、苟《かりそめに》も惟任将軍というみえとはらとを忘れちゃならねえ。お前《めえ》さんのは、それが相当腹にへえってしているから、俺ぁ少し唸《うな》りましたね」
 こう言われると光秀役者がことごとくよろこんでしまいました。
「はあ、有難えこんだ、わしも、芸事はすべて役どこの性根《しょうね》が肝腎だと思いやして、なるべくはらで見せるようにしてえと、こう思っているんでがんす」
「それそれ、それでなくちゃいけねえ……だが一つお気をつけなさい、あの北条義時は、筏《いかだ》を流し奉るとお前さんお言いなすったが、あれはいけねえ、ミカドを流し奉ると言うようにしなさい。それから、その次の方に面《かお》をしておいでなさるのは、さきほど久吉《ひさよし》をなすった兄さんだね。湯のじんぎは水とやら……あそこが軽い。だが、おめえさんのは少し男ッぷりが良すぎるのが瑕《きず》に玉《たま》だあね、納所寺《なっしょでら》の味噌摺坊主に化け込んで来てからが、こいつはまた光秀よりもう一枚大物の太閤秀吉の変装なんだから、やっぱりそれだけの面魂《つらだましい》を持たなきゃならねえ。面魂といえば、秀吉の面は猿に似ていた、いや秀吉の面が猿に似ていたんじゃねえ、猿の面が秀吉に似ていたんじゃ、という二つの説にわかれて、まだ、どっちとも決定していねえが、それはこの場合、深く問わねえが、面が猿に似ていて、眼光が炯々《けいけい》としていて……そのくれえだから面魂もどこか違ったところがなけりゃならねえ、それだのにお前《めえ》さんのは、剃り立てのきれいな青道心で、それに白塗りの痩仕立《やせじた》てときているから、見物の女の子がやんやとわいたぜ。芸の方にソツはねえが、面のつくりがあんまり綺麗過ぎたね。どだい、お前さんの地面《じがお》が綺麗過ぎるんだろう」
 こう言われると久吉役者がまたよろこびました。たとい面魂は英雄豪傑になっていなくとも、地顔が綺麗で、女連から騒がれたと言われてみると包みきれない嬉しさがこみ上げて来るらしい。
 そうすると、道庵先生抜からず、こんどはみさお[#「みさお」に傍点]役者の方へ向って、
「そこに衣裳をしておいでなさるのは、みさお[#「みさお」に傍点]をつとめたお人さんだね。このみさおという役がなかなか骨が折れる役でな。なんしろ、はらがあって、愁嘆が利《き》いて、主と、夫と、親と、大将と大将の中へ挟まって、義理と人情と、功名と恩愛とを身一つに仕分けなくっちゃならねえ、そのくせこうといってパッとした見せ場もなく、ふまえて行かなくっちゃならねえのだから、たておやまの中でも、底力がなければ持ちこたえられねえ。ところがお前さんはよく役どころを心得て、立役を立てながら場を締めていた黒っぽいところには真実感心したね。一つァまた、チョボがいいからしっくりと呼吸《いき》が合って、何とも言われねえのさ」
 そう言われてみさお役者は恐縮してしまい、
「わしらの芸は、はあ、何でもねえが、太夫さんが引取って下さるから、どうやら持ちこたえられているのでございます」
「それからまた、いちいち役々に就いて言ってみる……」
と、立てつづけて道庵先生が、初菊や、重次郎や、母のさつき、正清といったような役者を上げたり下げたり、それからまた全体に戻って来て、故人虎蔵の型はこうだの、先代宗十郎はどうだの、誰それはそこで足をこう上げたの、ここで鼻の先をこんなにこすったの、こすらないの、というようなことをのべつにまくし立てたものですから、半ば過ぎまで好意と感激とをもって歓迎していた楽屋一党も、なんだか少し変だと思うようになってきました。
 そうするうちに柝《き》が入ると、次の幕があきました。
 幕はあいたけれども、道庵は見物席へ戻ることはすっかり忘れて、次から次へ舞台へ出て行く役者や太夫さんに頓着なく、居残りの床山であろうと、衣裳方であろうと、世話役であろうと、お茶くばりであろうと、とったりであろうと、誰彼の容捨なく、芝居話を持ちかけているうち、舞台面が進んで、一人行き二人行き、ほとんど楽屋が空ッぽになると、道庵も喋《しゃべ》りくたびれて、ようやく御輿《みこし》を上げようとして、よろよろとよろめき出し、衣裳小道具を入れて来た長持のところへ来ると、さきほどから非常に睡気がさしているので、よろよろとして、その長持の中へ転がり込んだのか、そうでなければ尻餅をついたを幸い、そのまま長持の中へ寝こんでしまうと、そこへ上からフワリと衣裳が崩れ落ちて来て、道庵の身を押しかぶせてしまいました。
 一方、平土間で道庵のために空席を守っていた庄公は、小用にと立って行った道庵の帰りが遅いので気が気でなく、諸方を探し歩いたが、まさか楽屋の中でクダを捲いているとは思わないから、人混みの中をうろうろと潜り廻り、しきりに探しまわりましたけれど、ついにその姿を発見することができないで、とうとう幕あきの拍子木を聞いたものですから、幕があいた以上は、きっと元の場席に帰って来るだろうと、元のところへ帰って待っていてみたが、どうしても道庵が戻って来ないので、もう芝居見物どころではありません、幕の半ばにまた飛び出して右往左往に尋ねまわりました。
 宇治山田の米友ならば、こういう例には再三出っくわしているから、またかと言って歯噛《はが》みもしようし、その苦い経験から、道庵ひとりをうっかり小便にやるようなことはなかったでしょうが、庄公となると、まだなにぶん道庵扱いに馴れていないところへ、本来、米友ほどの腹《はら》も業《わざ》もある奴ではないから、ついにはいい若い男が尋ねあぐねて途方に暮れ、ワアワア手ばなしで泣き出してしまいました。

         十八

 長浜の会所へ、両替の使の用心棒としてついて来た宇治山田の米友は、会所の前に暫く待っていたが、今日は何か会所が特別に忙しいことがあると見えて、ラチがあきません。
 そこで、気の短い米友としては、少しく焦《じ》れ出してくるのも当然です。じっと待ってはいられないから、その会所のまわりをうろつきはじめました。
 会所のまわりを、塀《へい》の隅っこのところまで行ってまた逆戻りをしたり、溝《みぞ》の中に柿の種子が落ちていたり手鞠《てまり》がころげ込んだりしているのを見たりなんぞして、行きつ戻りつしているうちに、まだ埒《らち》があかない。こんどは表通りを少し遠っ走りして、湖の水の見えるところまで行って引返そうとする時、そこに高札場があって、幾つもの札のかけてあるのを見つけました。その高札を片っ端から読んでみますと、その真中の一番大きいのに、次の如く書いてありました。
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   「定
何事によらず、よろしからざることに百姓大勢申合せ候を、とたう[#「とたう」に傍点]ととなへ、とたうして、しひて願事企てるを、がうそ[#「がうそ」に傍点]と言ひ、あるひは申合せ、村方立退候を、てうさん[#「てうさん」に傍点]と申し、他村にかぎらず、早々其筋の役所に申出づべし、御褒美として、
 とたうの訴人《そにん》  銀百枚
 がうその訴人  同断
 てうさんの訴人 同断
右之通下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも、発言いたし候ものの名前申出づるにおいては、その科《とが》をゆるされ、御褒美下さるべし。
一、右類訴いたすものなく、村々騒立候節、村内のものを差押へ、とたうにくははらせず一人もさしいださざる村方これあらば、村役人にても、百姓にても、重にとりしづめ候ものは、御はうび下され、帯刀苗字御免、さしつづきしづめ候ものどもこれあらば、それぞれ御褒美下しおかるべきもの也
  年月日[#地から2字上げ]奉行」
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 米友は、お君に言わせると学者ですから、苦もなくこれを読んでしまって、
「ははあ、一味ととうしちゃいけねえってえんだな、申合せをして村方を立退くのもよくねえてえんだな、それを訴人しろてえんだなあ、訴人した奴には銀百枚を御褒美として下しおかれようてえんだな、なお、その上に、次第によっちゃ苗字帯刀も御免あろうてえんだな」
と言って米友は、高札の表を横目に睨《にら》み、
「一味ととうして乱暴を働くのが悪いのはわかり切ってるが、百姓共だって酔興で一味ととうをするわけじゃあるめえ、何か苦しくって堪らねえことがあるか、そうでなければ、おだてる奴があってそうなるんだろう、それを訴人した奴には御褒美が出るんだ
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