雪ちゃんの記憶が、お銀様の方へ甦《よみがえ》って来ました。
「お嬢様、あなたが先生を、こんな牢の中へお入れ申してしまったのですか」
「でも、仕方がありませんもの」
「仕方がないとおっしゃるのは?」
「胆吹の山の大蛇《おろち》は、こうでもして封じて置かなければ、世間がたまりません」
「まあ、残酷な」
 お雪ちゃんが、一切の恐怖を忘れてムキになりましたが、問題の当人はいっこう平気で、
「まあ、いいさ、こうして窮命させられているのはやむを得ない自業自得というものだ。でも、二人で、よく見舞に来てくれました、ゆっくり昔話でもしようではないか」
 懸崖絶壁に腰をかけながら、涼み台に出て世間話でも持ちかけるような気分で、いやになれなれしいところへ、お銀様がまた妙に砕けたしなをして、
「どうです、悪女大姉のことは。悪女大姉に未練はございませんか」
「は、は、もう、何とも思っちゃいないね」
「お絹さんはどうです」
「は、は、は」
「山の娘のお徳さんとやらの、こってりした情味は忘れられますまいね」
「は、は、は」
「高尾山|蛇滝《じゃたき》で馴染《なじ》んだお若さんというのはどうです」
「は、は、は」

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