の災難の次第を物語ってから、自分の注意の行届かなかったことをお詫《わ》びをすると、お詫びどころではござらない、こっちの災難を、おかげさまで手当が早かったからもう大丈夫、蝮《まむし》に食われた覚えは村の者にもいくらもあるが、どうしてこんなものではない、これは手当が早くて上手にやってもらったおかげだ――と言って、怪我をさせてもらって有難うと言わぬばかりに、親たちはお礼を言いました。
 また、時として子供たちが学業中、急に腹痛、頭痛、めまい、立ちくらみを訴え出すと、与八は直ちに手当をし、容体をよく聞きただし、撫でたりさすったり、用意の草根木皮を煎《せん》じたり、つけたりして与えると、不思議によく治るのです。そうして親たちが迎えにでも来ようものなら、その容体によって、その子供たちの今後の摂生法などを教えてやるのです。打身、きり創のような時もその通りだし、心持が親切の上に、手当が上手だし、それに別段金をかけて薬品を買いととのえて置くというわけではないけれど、日頃心がけて、手近な草根木皮をとって、干したり乾かしたりして蓄えて置くものですから、急場の間《ま》に合います。これは一つは、与八が道庵先生に
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