お松の教育は、手をとって学問芸術を教える正式の教育でしたけれども、与八のは、やっぱりお説教の一種です。こうして説教をやっているうちに、集まる子供たちの一々について視察して見ると、知恵の程度がまちまちであることを知りました。存外、年を食うて大きなずうたい[#「ずうたい」に傍点]をしているに拘らず、いろはのいの字も知らない鼻たらしがいたり、小さくても、年も少ないのにずいぶん過ぎた読書力を持っていたりするものもあり、概して平均した教育を持っていないことを知った与八は、説教だけではいけないと、今度はお松さん直伝の教育にとりかかりました。
 この子供たちを教育することは、郁太郎を教育するのと兼ねてやることになりますから、与八としてはやっぱり日課を拡大しただけの程度で、特別に苦になるということもありません。
 しかし、教育者そのもの、つまり先生でありお師匠さんであるところの、御当人の学力というものが甚《はなは》だ怪しいもので、師範学校を出たり、検定試験を受けたりして免状を持っているというわけではなし、お松さんのように遊芸|手跡《しゅせき》、本格の仕込みを受けているというわけではないから、教員資格と
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