ト人が、母性守護の女神として表徴した奇怪なる河馬女神《かばにょしん》トリエスの石彫像に似たと言えば言えるが、もちろんそれではない。
牝牛《めうし》を頭にいただいたハトル女神の面《かお》? アプシンベル神殿の岩窟《いわや》の四箇の神像のその一つのクラノフェルの面に似ていると言えば言えるかも知れないが、それでありようはずのないのは、メンツヘテブの石彫がこれと似て非なるものと同じこと。
古代埃及の彫像は怪奇を極めているが、超現実的ではない。いかなる怪奇幻怪なるものの裏にも、必ずや厳密なる写実がある。
お銀様のスフィンクスには、怪奇はあるが写実はないと言ってよろしい。
古代エジプト人は、死者の霊魂は必ずその彫像を借りて生きて来る、或いは彫像によって死者の霊魂を迎え取ろうという信仰があった。よし、それは迷信であっても、信仰の一つには相違ない。そこで六千年以前から人類生活を持っていた偉大なるハム民族は、その巨大なる想像力と、独得なる霊魂復活の信念を働かせて、多くの巨人的制作を、現代の我々の眼にまで残している。
お銀様のスフィンクスは、こんなものではない。
第一、お銀様には、その巨大なる想像力が無い
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