、フワリと薄物が一枚落ちかかったものですから、誰にも気づかれないで、いい心持に寝こんでしまっていたが、程経て、千秋楽《せんしゅうらく》の柝《き》が入り、舞台楽屋万端取りかたづけの物音に目が醒《さ》めないというはずはないから、そうして長持も当然、納むべきものを納め、蓋をすべきは蓋をする運命とならなければならない瞬間に、この先生のいたずら心が勃発したと見らるべき理由があるのです。
「こいつは、あとの幕が面白くなりそうだ、ここにもう暫くこうして納まり込んでいると、知らず識《し》らず次の幕へかつぎ出される、さあ、その出場が問題だ、一番運を天に任せてみてやれ」
という気に道庵がなり出して、そのままわざと息を殺しているうちに、相当の衣裳類が上から積込まれ、蓋をされて、道庵もろともに楽屋から担ぎ出された成行きであろうことは、充分察せられる。
しかし、それからがまた問題で、いかに道庵であるとはいえ、衣裳類を上から積み重ねられた上に蓋をされたんでは、相当時間の後には窒息に陥る憂いがあるではないか。しかしそこは、またお手前物で、その辺の危険に思い及ばぬはずはない。といって、江州柏原駅にあらかじめ道庵を入
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